物語は関係性の変化によって展開する

こんばんは。
昨日は、3月まで通っていた演劇ワークショップのクラスに行ってきました。
今年は通うわけではなく単発での参加ですが、久しぶりにお芝居に触れられてとても楽しかったです。

そこで、今年通う人たちと即興のお芝居をしたのですが、そこでふと思ったのが、タイトルにした「物語は関係性の変化によって展開する」ということ。

即興のお芝居をする場合、本当に何も打合せせずにやることもあれば、ある程度の設定や落ちは話し合って決めてから演じることもあります。
その後者のパターンで、話し合いをしているときに「何か事件を起こさないと」という発言があったのです。
私もそれほどお芝居の経験があるわけではないのですが、その発言に違和感があり、どうして違和感を持ったのだろう、と考えて気付きました。

確かに、物語を展開させるには、事件(いわゆる転の何か)は付き物です。
しかし、ただ事件が起きただけでは、実は変化は起きません。
その事件によって、優位だった人が劣位になったり、味方だと思っていた人が敵になったり、関係性が変化すること。
それを、見ている人は物語の展開として楽しむんじゃないかな、と。

これは創作の世界に限らず、現実でも同じかな、と思います。

例えば、Aさんが仕事でミスをする。それで迷惑を被ったBさんは怒る。ミスをしたAさんが劣位になり、ミスで迷惑を被ったBさんが優位になる。
Aさんが、Bさんの悪口を言う。聞いているCさんはBさんを非道い人だと思い、Aさんに同情する。AさんとCさんは味方になり、Bさんを敵視するようになる。
単純化すると、こんな感じです。

こうやって並べてみると、関係性の変化にはバリエーションがあることが分かります。
上記の仕事のミスの話の場合、このままの展開だと、Aさんはミスをすごく怖がるようになります。
でもBさんが怒らなければ、AさんとBさんは対等なままかもしれません。
(Bさんが許してくれたことをAさんが感謝し、結果的にBさんが優位になる可能性もありますが)

そう考えていくと、本来的には「事件」に良し悪しはなくて、全ては「人間」が左右するところなんだな、と改めて思ったのでした。


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