学ぶと働くの重なるところ

教育・研修プランナーとして、宮崎県日南市を拠点に活動する川原祥子のブログ

2018年5月17日
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地方移住の最大のハードルは「人材としての市場価値が下がりそう」

私の母は、私が九州に帰ってくることに反対していて、移住してからもしばらく怒っていました。
こっち(九州)には仕事がないから、そのまま東京で働き続けなさい、と。
これまではその理由が分かっていなかったのですが、フリーランスになるにあたり、改めて母とディスカッション(ケンカと言うほど激しくないけど、会話と言うほど優しくもない)したところ、母が何を心配していたのか、やっと理解できました。

私なりの解釈ですが、「地方で数年働いたら、人材としての市場価値が下がって、もうどこにも行けなくなってしまう」という心配だったようなのです。
市場価値について補足すると、年齢が上がれば上がるほど就職難易度は上がる(=求められるスペックが高くなる)ので、相対的な意味で価値が下がる、ということも含まれます。
どこにも行けなくなるというのは、刺激が足りなくて飽きてしまっても、もう東京には戻れないからね、みたいなニュアンスでした。

そういうことなら、正直なところ私も全否定はできません。
先日、ウェブマガジン『ひみつ基地』で書いた以下の記事にも通じます。
全国の求人倍率が1.0倍超なのに、まだ地方に仕事がないの?-地方に足りないのは、「そこそこ生産性の高い仕事」

生産性の高い仕事をしなければ(もしくは仕事の生産性を上げるということにチャレンジしなければ)、個人の生産性は上がらないように思います。
「6人が2個ずつイチゴを食べました。イチゴは全部でいくつあったでしょう?」という問題に対して、足し算しか知らずに「2+2+2+2+2+2=」と計算するか、掛け算を知っていて「6×2=」と計算するか、というと伝わるでしょうか。
生産性の高い仕事のやり方を身に着けるということは、足し算だけでなく掛け算も使えるようになる、というイメージです。

せっかく足し算をマスターしたところに、掛け算という新しいことを習うと「また難しくなった。もう嫌だ」みたいな気持ちになることもあると思います。
掛け算くらいであれば良いかもしれませんが、例えばエクセル。一通りは使えるけどマクロまではちょっと…と思っている人は少なくないでしょう。(私もその一人)
仕事の難易度が上がり、マクロが使えないと仕事が終わらないという状況になれば勉強すると思いますが、気合でいけるうちは多少時間がかかってもそのままでいくかもしれません。

前述の算数の問題も、このままなら足し算で押し切れますが、62人が17個ずつ、となれば足し算で押し切るのは難しくなってきます。
そういう意味では、「仕事の生産性を上げることにチャレンジ」するためには、「仕事の難易度を上げる」ことも重要です。

移住するクリエィティブな人々が起業や独立を選ぶのは、仕事がないこともあるかもしれませんが、仕事の難易度を上げて、自分の市場価値を下げないようにしているのかもしれません。
地方移住において、求人自体はあるにも関わらず「仕事がない」と二の足を踏んでいる人たちは、この辺りがハードルになっているのでは、と思ったのでした。


2018年5月1日
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いばらの道を選ぶ理由

「平和で、人々の可能性が最大限発揮された社会」

大学4年間を通じて活動していた、AIESECという国際的な学生NPO団体のVISIONです。
上京し、東京で得られる様々な経験や出会いの数に圧倒される一方で、それを活用しない周りの学生たちに「もったいない」と強く感じていた当時。人々の可能性という視点、それを最大限発揮された社会を目指すという考え方に共感すると同時に、VISIONを掲げて事業を行うことの意義とやりがいを知りました。

「ひとりひとりの成長が多様な主体によって支援され、誰しもが心身ともに豊かに成長することのできる社会」

社会人2年目から、ボランティアスタッフとしてずっと関わっているNPO法人夢職人のVISIONです。
教育に関わる仕事がしたいと思っていたものの、学校と塾以外に選択肢がなく、対象を大人に切り替えて採用・人材育成の分野を選ぶことになった最初の就職。学校でも家庭でもない第三の場として社会教育があり、親でも先生でもない大人が子どもの成長に携われるというのは、子どもにも、携わる大人にもすごく価値があることだと知りました。

「若者たちが未来に希望を持てる社会」

職員として入り、事業責任者、そして理事まで務めた、NPO法人NEWVERYのVISIONです。
前職の新卒採用支援の中で触れた、就職活動に追い詰められる学生たち。彼らが前向きに社会に出られるようになるには大学生活を変えるしかない、と足を踏み入れた教育業界は、課題は山積しているものの、大学入試改革を含めた教育改革のうねりが確実に来ていることを知りました。

社会の変化の中で、ライフスタイルは多様になり、取り得る選択肢は無限に広がっています。
その分、一人ひとりに課される責任は重く、求められる力は大きくなります。
すでに、学びは学校だけのものではなくなり、また学生だけのものではなくなっています。

一方で、それ程の責任を負い、力を身につけるだけの学びの環境は、全ての子ども、若者たちに提供されているでしょうか。
日本には義務教育があることから、教育格差にはこれまで目が向いてきませんでした。しかし実際には、家庭環境、経済的事情、いじめなど、様々な要因で、その機会を阻害されている子ども、若者がいます。

私は、企業の採用・育成や、大学の学生募集・中退予防の現場で、機会に恵まれなかったばかりに、不合格になってしまったり、適応できなかったりして苦しむ若者をたくさん見てきました。
悪い子ではないけど、自立していない。企業も大学もこの厳しい環境下で、手取り足取りフォローはできない。そんな狭間で多くの若者たちが社会的弱者へと転落しています。

それは分かるけど、どうしてそんないばらの道を選ぶの?そんな質問も受けました。
色々と考えたのですが、「知ってしまったから」としか言えません。
社会課題に向き合う面白さ、社会教育の価値、教育改革のうねり、そして地方と都市の教育格差の課題。

ソーシャルビジネスと呼ばれる分野でそれぞれの課題に全力で立ち向かう先輩や後輩、友人たちには遠く及びませんが、ビビりの私がようやくここまで来た、ということで、応援よろしくお願いします♪


2018年4月28日
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日南にイオンモールができないことを願う

日南が良いと思って移住して来た人たちと話をして、意気投合することの一つが、「イオンモールができませんように」という願いです。イオンモールは要らない、ということですね。

地元の人は、「日南って何もないでしょう?イオンモールとかもないし」と言います。
移住して来た人でも、家庭の事情などで結果的に日南に来たような人だと「イオンモールくらいできてほしいよね」と言うことがあります。
でも、私はどうしてもそれに頷くことができません。

イオンモール自体が悪いわけではありません。
でも、イオンモールがあるまちって、つまらないな、と思ってしまうのです。

イオンモールを含め、同じようなチェーン店が並ぶ同じようなまちは、全国どこにでもあります。
どこも同じに見えるので、移住しようにも選びようがありません。
就職活動で、みんなが同じ黒スーツ白シャツを着て、同じようなリーダー経験を語ってきてうんざりする、というのと近いかもしれません。

例えば北海道や沖縄に旅行して、わざわざイオンモールで一日を過ごそうという人はいないと思います。(いたらごめんなさい)
私は海外でも、ローカルなモールやスーパーは好きですが、どこにでもあるグローバルブランドが並ぶモールや免税店はあまり好きではありません。

何より残念なのが、この素敵な環境に住んでいる人たちが、イオンモールというものに価値を感じ、謎の劣等感を抱いている、ということです。

様々な自治体が、このまちの魅力をPRしよう!と外に向けて頑張って発信をしていますが、中の人がその魅力を認めず、外のものに価値を置いている以上、外の人に魅力を感じて来てもらうのは難しいでしょう。
せっかく外から人が来ても、中の人がその価値を否定したり、さらに頑張ってイオンモールを誘致してしまったりすれば、外の人は出て行ってしまうかもしれません。

私も日用品や衣料品はチェーン店に頼ってしまうのを反省しつつ、出来るだけ個人経営や地場のお店を利用し、応援したいと思います。


2018年4月24日
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自分が応援されているのか、取り組みが応援されているのか、分けて考えた方が良い

インターネットの普及、クラウドファンディングの広がり等により、大きな組織でトップに立ったりしなくても、個々人が新しいことを始められる世の中になりました。
私の周りでも数々の知人友人が起業・独立したり、新しい事業を立ち上げたり、地方や海外に移住したり、本を出したり、メディアに出たり、何だかよりどりみどりです。

ハードルが下がって簡単に始められるようになったからか、それが上手くいくかどうかも千差万別、玉石混交。
そんなの上手くいかないんじゃない?とナナメに見ていたものが上手くいったり、順調に見えていたものが急に終わったり、正直なところ私には、上手くいくかどうかの予測をすることはできないな、と思います。

だから私は、相手が知人友人だった場合、本人がやろうとしていることを「やめた方がいいんじゃない?」と反対しないことにしました。
もちろん、相談を受ければ、考えを整理するのを手伝ったり、アイディアを出したりします。
愚痴を聞いて、余程と思えば「やめた方がいいんじゃない?」と言います。
でも、こういうことをやることにした!と本人が決めたことに対しては、応援することにしています。

一方で、取り組みについては、自分の価値観に照らして価値があると思ったもの、共感したものだけを応援します。
誘われたイベントに行くかどうか、クラウドファンディングで払うかどうか、紹介してほしいと言われたことを紹介するかどうか、といったことです。
(単純に都合がつかない、お金がない、紹介のタイミングを逃した、ということもあるので、思い当たる節のある方も深読みなさらず、、、)

相手が誰でも、上手くいかないと思えば忠告する人もいます。
取り組みの良し悪しに関わらず、その人がやっているからという理由で取り組み自体も応援する人もいます。
どの対応であっても、相手を思っての優しさであるのかな、と思います。

そのため、応援する側がどうすべき、とは私には言えません。
ただ、応援される側は、相手がどういうつもりで応援してくれているのか、考えた方が良いのでは、と思うことがあります。
結局、リスクを負っているのは本人です。
周りが応援・賛成しているからと言って、本当に価値がある(例えばビジネスであればマーケットニーズがある)かどうかは分かりません。

新しいことを始めるにあたって、「私だから応援してくれる」という形に頼るのは必要なことだとは思いますが、それと取り組みへの評価は分けて考えた方が良いのでは、と思うのでした。


2018年4月21日
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みやざきジョブシャドウイング実行委員会のスタッフ研修を企画・運営しました。

今日はみやざきジョブシャドウイング(&ひむかジョブシャドウイング、みやこんジョブシャドウイング)実行委員会のスタッフ研修にて、ワークショップの企画・運営をさせていただきました。

活動が拡大する中で、スタッフも増えており、改めて自分たちが何を目指しているのかみんなで共有したい、という非常に難しいお題でしたが、積極的な皆様のお陰で和気あいあいと実施することができました。

気を付けたのは、全員に参加してもらえるような構成と雰囲気づくり。
設立当初からいるメンバーもいれば、まだ加わったばかりで一度も本番を経験していないメンバーもいて、そこで偏りが生じたり、議論がずれたりしないようにしながら、最終的には目指すものを言語化する、という所に落とすのが私のミッションでした。

最初はインプット。これまでのみやざきジョブシャドウイングの活動の経緯や、どんなプログラムをどんな目的でやっているのか、共有してもらいました。
加えて私からは、教育に携わる上で知っておいてほしい社会の動きを少し紹介。
人生100年時代、AI、教育改革の3つをキーワードに、相手にする高校生が置かれている環境を知ってもらいました。

その後はワールドカフェ。まずは結論を出さないこの方式で、少し広い視点から教育についてフラットに語ってもらい、考えを深めてもらうことにしました。お題は以下の3つ。
「これからの高校生に身に着けてほしい力はどんな力ですか。また、それはどのような方法によって身に着けることができると思いますか。」
「高校生がその力を身に着けるために、周りの大人ができることは何ですか。また、その中であなたが貢献できることは何ですか。」
「ジョブシャドウイングは、参加した高校生に、どのような気づきや行動の変化をもたらしていますか。また、もたらすと思いますか。」

最後に自分たちが目指すものとして、「ジョブシャドウイングに参加した高校生に、10年後にどうなっていて欲しいですか?」というお題について、今度は結論を出す形で議論してもらい、まとめました。

大変だし緊張するけど、こういうワークショップは企画するのもやるのも、やっぱり楽しいです♪

▼みやざきジョブシャドウイングの活動についてはこちら↓
http://miyazakijobshadowi.wixsite.com/mysite


2018年4月20日
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大人は「若いのにしっかりしてるね」なんて言わない方が良い

PBL(課題解決型学習)等の浸透に伴い、小中高生や大学生が社会人に向かって自分の考えや企画をプレゼンをする、という場も増えています。
その時に大人からよく出てくる「まだ若いのに、ちゃんとしてるね。私が学生のときなんて、もっとのんびりしてたよ」みたいな一言。
褒めているつもりかもしれないのですが、私はあまり好きではありません。

なぜなら、社会の変化と共に、物事の難易度も変化しているから。

例えば、分からない言葉を一つ調べるにしても、昔は辞書を使わなければなりませんでしたが、今は検索すればすぐです。
自由研究や作文なども、手を抜こうと思えばネット上の情報を使っていくらでも手を抜けます。
一方で、産業や仕事はどんどん高度化しています。
ネットで調べたことを丸写しにしたレベルで切り抜けてきたような人は、残念ながらAIに仕事を奪われてしまうでしょう。

5年くらい前に、高校生のビジネスコンテストでメンターをやったことがありました。
私の担当していたグループは、グループの1人が株をやっている子だったこともあり、株をやる高校生をもっと増やしたい、株を通じて社会のことを身近に考えられるようになってほしい、ということをプランの柱にしていました。
仕事が忙しく、あまり関わることができませんでしたが、一番響いたと言われたアドバイスは、
「とりあえず、全員が株やったら?企画しているメンバーすら実際の行動に移せないようなものを、さらに他の高校生にやってもらおうなんて無理でしょ」というもの。
当たり前のアドバイスだと思われるかもしれませんが、それくらいその場は机上の空論であふれ、それっぽい言葉で上手にプレゼンテーションすることだけに向かっていたのです。

確かに昔は、今の学生が出すくらいのアウトプットを出せるのは上位数%で、多くの時間と労力を費やす必要があったかもしれません。
しかし今や、中高生(さらには小学生まで!)が起業をするような時代です。
このような社会環境にも関わらず、昔の自分と比べて「頑張っている」と評価すると、評価を受けた本人たちは満足してしまい、そこで止まってしまうかもしれません。
もちろん、頑張ったことは評価して良いと思いますが、昔の自分と比較などせず、同じ現在を生きる一人の人間として、相手をフラットに見てあげた方が良いのでは、と思うのでした。


2018年4月17日
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視野を広げるのは、人に優しくなるためかもしれない

人は、相手が自分の思う通りの行動をしないとびっくりして、怒ったり悲しんだりすることがあります。
何かしてあげたときにありがとうと言ってくれなかったとか、叱ったら逆ギレされたとか。
つい「ありえない!」と言ってしまう、そんなシチュエーションです。

最近思ったのは、視野が狭い(=知っているパターンが少ない)と、怒ったり、悲しんだりする可能性が高まるのかも、ということ。

例えば海外旅行をすると、店員さんの愛想が悪いとか、交通機関が遅れるとか、ぼったくられるとか、日本ではなかなか遭遇しないことが日常的に起きます。
知っていれば、「こういうことあるよね」と寛容に受け止められますが、全く経験がなくて知識もないとびっくりして、「なんてひどい旅だったんだ」と憤ることになるかもしれません。
私も初めての東南アジア旅行でベトナムへ行き、意気揚々と買ったアオザイが10分の1くらいの値段で他の店で売られているのを見たときはしばらく凹みました。

そういうことがあると知っていれば、自分次第でダメージを小さくする工夫もできます。
しかし、知らなければ、突然のことに混乱し、対処できずに憤るしかないかもしれません。
ただ、実際には背景も考え方も異なる相手を「ありえない!」と責めたてたところで、どうにもなりません。

外国籍の人と結婚するとか、学校を中退するとか、結婚前に妊娠するとか、恋愛対象が同性とか、本人に悪意はないのに、「ありえない!」と責め立てられてしまうようなことが、世の中にはたくさんあります。
数が増え、身近になって少しずつ理解されるようになってきたものもありますが、ごく一部でしょう。

最近、こんなニュースも話題になりました。

▼格差容認、都市部ほど強く 高学歴・経済的にゆとり 朝日・ベネッセ調査(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/DA3S13436964.html

自分の見えている範囲が狭いから、こういうことを言い出すのかな、と思ってしまいます。
怖いのは、こういう層が政治家になったり、社長になったり、日本の中枢を担うということです。

キャリア教育の中で、視野を広げよう、多様な生き方に触れよう、というのがありますが、自分のキャリアの選択肢を増やすというより、自分と異なる誰かを受け入れたり、みんなと異なる自分を受け入れたりするためにあると良いのかもしれないな、と思ったのでした。


2018年4月8日
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学生のうちに経験しておいた方が良いのは、思い切り泣き、笑い、怒ること

学生のうちにやっておいた方が良いことは何ですか?
学生と接する機会のある社会人であれば、一度は聞かれたことのある質問だと思います。

私も色々答えてきましたが、何をやった方が良いかなんて、結局はそれぞれ。
とは言え、それでは無責任すぎる気もしたので、表現の仕方を変えたら提案できるんじゃないかな、と思って新年度記念に考えてみました。
書いてあることはすごく当たり前のことですが、それを自分の経験として持っているかどうかは違うのでは、と思います。

1.寝食を忘れて夢中になった経験

2.誰かと対立した経験

3.誰一人知っている人がいない環境で生活した経験

4.ものすごく頑張った結果、上手くいった経験

5.ものすごく頑張ったのに、上手くいかなかった経験

6.チームに貢献した経験

7.誰かに助けてもらった経験

一つひとつ補足しようかと思ったけど、これらの経験によってどんなことに気付き、どのように次に生かすのかも人ぞれぞれだなと思ったので、補足はやめました。
この7つは思い付きなので、他にも色々あると思いますが、思い切り泣いたり、笑ったり、怒ったり。そんな気持ちにつながる経験をたくさんしておいた方が良いのではと思ったのでした。


2018年4月6日
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大人になりたくないと思わせているのは、東京かもしれない

先日、本社での研修のために日南オフィスのみんなと東京へ行ってきました。
本社は西新宿、さらに2日目は9時に品川駅集合ということで、久々の(というか、東京にいたときもほとんど避けていた)通勤ラッシュにうんざり。
通勤ラッシュを初めて経験した子はもうカルチャーショックのレベルで、絶対に東京には住めない、と言っていました。

通勤ラッシュが初体験の子も、東京に来ること自体は初めてではありません。
ただ、混み合う時間帯であることに加えて、仕事の疲れが蓄積し、さらにこれからまた仕事、という点で通勤と旅行とでは大きく違うのでしょう。
そう考えると、やはり首都圏の通勤にかかる負荷は異常なのだと思います。

就職活動中の学生を中心に、多くの大学生が「社会人になりたくない」と言います。
そう思ったエピソードの一つによく出てくるのが、通勤中の社会人の疲れた様子を見て嫌だと思った、というものです。
みんな死んだような顔をしているのですから、無理もありません。

そう考えると、通勤ラッシュ自体がなかったり、車通勤で疲れた社会人の顔を目にすることがなかったりする地方の学生は、少なくともその点においては社会人に対するネガティブなイメージはないのかもしれません。

首都圏の大学生の方が社会人になりたくないと思っている人の割合が高い。
みたいなデータが見つかると良かったのですが、都合よくそんなものは見つかりませんでした(笑)
ただ、待機児童問題のように、首都圏中心の問題が全国的な問題であるように扱われる場合もあるので、首都圏の特殊性を常に念頭に置いておかないとな、と思ったのでした。


2018年3月23日
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2050未来教育研究所設立セミナーを東京・大阪にて開催

昨日は大阪、今日は東京にて、2050未来教育研究所設立セミナーを開催しました。

2050年の世界を俯瞰・予測し、現在の学生が活躍するための方法、さらに次世代に向けてさらなる教育の仕組み作りや、新しい教育方法、教育サポートの研究・提言を行う研究所。
2月に福岡で開催した第一弾に引き続き、セミナーの企画から当日の司会まで、事務局メンバーとして参加させていただきました。

東京は特に関心が高く、50名ほどの席が満席に。
懇親会でも、今後の大学教育や社会教育、またその評価方法まで活発に議論が交わされました。

セミナーレポートはこちらにて後日公開予定です。