意図がなければ振り返れない

こんばんは。
NEWVERYは昨日で夏休みが終わり、今日からまたお仕事でした。
夏休み明けというのは、大人になっても辛いですね。。。

さてそんな夏休み。
友人と会ったり、映画を観たり、実家に帰省したり、色々と充実していたのですが、そんな中で6月から習い始めた囲碁にもまた行ってきました。
自分の都合の良いときに予約して、マンツーマンで教えてくれる碁会所を見つけて、そこに通っているのです。

この間が4回目だったのですが、やっと9×9の初心者用の盤面(正式なものは19×19)で、対戦できるところまで進みました。
で、初対戦したのは良いのですが、困ったのは終わってから。

「じゃあ、振り返りをするから1手目から順に並べてみよう」
と全てを崩されて、盤をまっさらにされてしまったのです。

私はそんなつもりもなく、全く覚えようとしていなかったので、焦ってしまいました。
確かに、囲碁や将棋の漫画でそんなのを見た覚えはあったものの、いきなり自分がその立場になるとは思ってもみなかったのです。

そこで言われたのが「ちゃんと戦略を持って、考えて打っていたら、分かるはずだよ」ということ。

それまでは単に暗記だと思っていて、1手目から振り返ることのできる手慣れた人々はなんて記憶力が良いのだろう、と思っていたのですが、それが全くの勘違いだったことに気付きました。
それと同時に思ったのが、囲碁だけではなく、仕事などのあらゆる場面で言えることだな、ということです。

例えば、今ちょうど盛り上がっているオリンピック。
おそらくどの競技においても、何も考えずに何となくやって勝ってきてあの場に立っている人はいないはずです。
テニスで言えば、どのタイミングでどのサーブをどこへ打つのか、腕はどうひねって、ラケットはどちらに向けるのか、無意識に身に着けている部分はあれど、その全てに意図があり、失点したら、それらのどこに敗因があったのか考えて修正することができる、という感じでしょうか。
意図がなければ、うまくいったときも何が作用してうまくいったのか見出すことができず、同じ成功を繰り返すことすら難しいように思います。

囲碁の話に戻ると、「ちゃんと戦略を持って考えて打っていたら、分かるはずだよ」と言われて思い返すと、何となく思い出すことができました。
碁会所で習う以外にもスマホアプリでコンピュータ相手の対戦はやっていたため、自分なりの考え方や癖は自覚があり、それを踏まえると、このときはこう打ったんじゃないかな?と考えることができたのです。
逆に、考えることを放棄してとりあえずで打ったところは頑張っても思い出せませんでした。

結局は、PlanがないとPDCAって回せないよね、ということなのですが、改めて細かい言動一つとっても意図や目的があることは大事だな、と思ったのでした。
囲碁はまだまだ入り口ですが、奥が深くて楽しいです♪


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