何にでも「正解」があるという誤解

こんばんは。
今週中に仕上げなきゃいけないコラムがあるのに、なかなかまとまらず、ブログに逃げて来てしまいました。
作業としては変わらないはずですが、難しいですね。

さて先日、東京都の教育庁の方と打ち合わせをしていたのですが、そのときの雑談の中で、「何にでも正解があると思っているんでしょうね」という言葉が出てきて、とても心に残りました。
その言葉が出てくるきっかけとなったのは、私が就職活動中の大学生から受けた、とある質問。
女の子だったのですが、シャツの襟はジャケットの外に出した方が良いのか、入れておいた方が良いのか、という質問でした。
男性だとネクタイもあって、シャツの襟はジャケットの中に入っていますが、女性は出せるんですよね。
それは良いとして、答えとしては「どっちでもいいよ」ってことなのです。

私は笑い話と思っていたのですが、この「どっちでもいい」、つまり「どっちも正解」な状況に戸惑う学生がいるというのは、よくよく考えると深刻な問題です。

社会人になると、ケースバイケースとか、臨機応変、ということがたくさんあります。
しかし、学校で学ぶことにおいて、ケースバイケースなんてことはほとんどありません。
この国語の問題の答えが、中間試験では○だったのに、期末試験では×だった、ということはおそらくないでしょう。
一方で社会の中では、今日はこの服装でOKだったけど、翌週はその服装ではNG(例えば、来客があるなど)といったことは多々あります。

さらにこの問題の怖いところは、責任の所在です。
万が一、上記の例で国語の試験の正解/不正解の基準が変われば、それは先生の責任です。
出題のミスだったとか、教えていたことが違ったとか、そういうことがあるかもしれません。
しかし、社会に出てからのことは、基本的には本人の責任です。
服装を注意されたとして、前の週は誰も注意しなかったのに!と言ったところで、注意しなかった人のせいにはできません。
状況が異なるのですから、判断したり、質問したり、自分で動けなかった本人が悪いのです。
先輩によって言うことが違う、ということにも対応していかなければなりません。

特に今は情報が溢れているので、正解を探そうとすればすぐにそれらしいものが見つかります。
もちろん私も、何か分からないことがあった場合には検索をして参考にすることが少なくありません。
しかし、「これが正解!」と断言できるものはないと知っているので、その前提で扱います。
具体的には、いくつかの情報を参考にしたり、自分なりにアレンジを加えたり、といったことです。

つまり、「正解がある」と思っているのか、「正解がない」ことを知っているのか、がとても大事なのです。

先日の勉強会で、アクティブラーニングに取り組む先生の中に、「自分で考えるようにと宿題を出しても、塾が模範解答を作って渡してしまう」という悩みをお持ちの先生がいらっしゃいました。
本当に恐ろしいことです。
答えがないのに、「これが答えだよ」と教える大人がいるということです。

就職活動においても、こうした方がいい、と断言してアドバイスしてしまう大人がたくさんいます。
そうすると、「シャツの襟はジャケットに入れた方がいいですか?」なんて質問してくる学生が生まれます。

私自身、アドバイスを求められて、答えてしまうこともあるので、気を付けなければと思いつつ、こんなことを考えたのでした。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください