宿題の代行について考える

こんばんは。
先日テレビを観ていたら、夏休みの宿題を代行する便利屋業者が出ていて、何だかもやもや。
そのことをfecebbokでつぶやいたところ色々な方からコメントをいただいたので、少し整理してみることにしました。

改めてネットで調べたところ、宿題の代行業者はたくさんあるようで、相場は以下のような感じ。
・国語や数学などの各種ドリル(1冊)5,000~12,000円
・自由研究・工作など(1件) 5,000~10,000円
・作文・読書感想文などの文章創作(400字詰め原稿用紙1枚) 3,000~5,000円

テレビに出ていた業者さんが言うには、多くは教育熱心な保護者からの申し込みで、塾で忙しくて学校の宿題まで終わらないから、とのこと。
実際に宿題をやっているのはアルバイトの大学生などのようで、ばれないようにドリルでは所々間違えたりもしているそうです。

学歴社会であるが故に学力向上を優先せねばならないとか、学力向上において、学校よりも塾の方が信用できるとか、保護者にも色々と主張があるのでしょうし、そういう考えに陥る背景には社会的な課題もあるので、全面的に否定はできません。
しかし、自分が行うべきものをお金を払って他者にやってもらい、それを自分がやったこととして学校に提出する、ということを経験した子どもが何を感じ、どう考えるようになるのか、それはとても心配です。

まず当たり前のことですが、宿題は本人がやることに意味があるものであり、本人がやっていなければ力がつかないので、他者がやった時点で宿題の存在意義はありません。
さらに、学校での評価に影響するとすれば、本来得られない評価を他者の力を使い、自分がやったと嘘をついて得ることになります。
自分で努力することが馬鹿らしくなるかもしれません。

そして一番気になるのは、「お金で解決する」という手段を知ることです。
さらに言えば、「お金で全て解決できる」「お金が一番大事」と思ってしまうのではないか、と心配になるのです。
保護者としては「学力をつけることが一番大事」と思って行動しているのかもしれませんが、そのつけてほしいと思っている学力すら、それがお金につながらないと思われてしまったら、その子は塾の勉強にも取り組まなくなるかもしれません。

塾の勉強、学校の宿題、友達と遊ぶこと、習い事、部活などなど、子どもたちの生活を取り巻くものは多様で、興味関心の方向性も深さもそれぞれです。
それを、これは必要、これは無駄、と大人が勝手に決めつけて良いものではないと思います。
この宿題代行問題は、大人の心の余裕のなさを感じさせるものだな、と思ったのでした。


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