暮らすと働くの重なるところ

暮らしにも、仕事にも満足している人ってどれだけいるんだろう?これからの時代、良く生きるためにはどうキャリアを重ねるのがいいんだろう?東京で学ぶと働くを探求したので、さらに暮らすを探求すべく宮崎県日南市へ移住しました。

NPOはキレイゴトか

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こんばんは。
大雨がすごいですね。
明日も雨が激しいようで、心配です。

さて、今日はNPOで働く女性を題材にした記事を見かけて、とても面白かったので、ご紹介です。
N女の研究~非営利セクターで働く女子たち / 中村安希
私もN女だったのか、と新鮮に思いつつ、内容はNPOや各団体の内容を的確に捉えていらっしゃって、読んでいてとても納得感がありました。

特に共感するのは、どのインタビューにも共通するところで、「かわいそうな人たちのために」という気持ちではない、ということでした。
その人たちのためでもあり、自分のためでもある、ということです。

NPOで活動をしていると、「そりゃ建前では共感するけど、本音では・・・ねぇ?」みたいな扱いを受けることがあります。
そんなキレイゴト言ってても、上手く行かないよ?現実見ようよ、時間の無駄でしょ?と。
しかし、現実の課題に目を向けているからこそ、理念を掲げているのであって、それを本音と建て前で分けようと思っても、分けられないのです。

例えば、私の取り組むWEEKDAY CAMPUS VISITは、大学と学生のミスマッチや、それに伴う中退を防ぐ、という目的があります。
目的意識を持って進学し、大学生活の中で様々なことを学び、成長し、社会に出ていく、という人を増やすということですが、私はこれをその個人のためにやっている、という認識はありません。
目的意識もなく進学し、何となくで大学生活が過ぎ去り、何の力もつけずに社会に放り出されてしまうような人が多ければ、それだけ社会の弱体化につながると思うので、取り組むのです。
正直、挨拶すらできず、姿勢としても受け身の人間を雇って育てる余裕は今の企業にはありませんし、そうして職を得られなくて生活保護になれば、私たちの支払う税金が使われることになります。

それを自己責任と言うのは簡単ですが、言うだけで何もしなければ、そこに私たちが払っている税金が使われる現状は何も変わりません。
仕事をするにあたっても、優秀な人材を採用したくても集まらず、自分で仕事を抱え込むか、手取り足取り教えるか、その2つ。
若者を派遣やブラックな環境で使い潰し、短期的にその会社の業績につながったとしても、そうしてスキルも積み上がらずに使い捨てられた若者ばかりになれば、自分が年金を受け取る側になったときに社会を支える担い手がいない、ということになってしまいます。

こんなことも言われます。
・高校生には、目的意識を持って進学先を選ぶなんてできない
・大学でどう過ごし、何を学ぶかなんて、社会に出てからは関係ない
・働いたこともないのに、キャリア意識なんて持てない

しかし、本当にそうでしょうか?
それに私は、現実的に難しいからといって、目指さない理由にはならない、と思っています。

大学時代に所属していたNPO法人アイセックの理念は「Peace and Fulfillment of Humankind’s Potential」でした。
元々は第二次世界大戦をきっかけに、ヨーロッパの大学生たちが立ち上げた団体ですので、こういった理念になっているのですが、理念として設定されているからには、この理念の意義も随分考えさせられました。
解釈は様々ですが、一つ思っていたのは、この「平和」というものの達成が例え不可能だとしても、だから平和な社会を目指さなくていい、ということにはならない、ということでした。
むしろ、目指して行動する人・組織・社会があるからこそ、まだ現状で留まっているのかもしれません。

掲げている理想そのものの妥当性は問われたとしても、理想を掲げること自体を「建て前」とか、「キレイゴト」と片づけるのは、諦めることと同じだと思っています。
期待をしない、と言い換えてもいいです。
教育においては、人が変わる可能性、成長する可能性を否定する、ということになってしまいます。

何に心を傾けるのかは個人の判断なので、「キレイゴト」と笑われるのを軽くかわすことのできない私はまだまだ大人になりきれていないのかな、と思う部分もあるのですが、それでも人や社会の可能性を勝手に狭めないでほしい、と思うのでした。


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