教育の本質に向き合える幸せ

今日は、高校の先生方向けのフォーラムを開催しました!
タイトルは、「大学入試改革の先にあるもの~高校教育の本質を考える~」
全国の高校から先生方もお集まりいただき、一緒に高大接続の取組みをさせていただいている大学の方々も合わせて100名もの方にお集まりいただきました。
本当に登壇してくださった方々が素晴らしく、このタイトルにふさわしい会になったのではないか、と思います。

前半は、今回の改革の答申を出した中央教育審議会高大接続部会の委員の生重様と、その後の実行プランを担う文部科学省大学入試室長の橋田様。
なぜ入試改革が必要なのか、今後何が変わるのか、何が大事なのか、ということをお話しいただきました。

後半は、多様な入試を体現されている大学の事例。すでに何十年も前から多様な入試を取り入れている筑波大学の事例をアドミッションセンター長の島田様から、選抜型入試から育成型入試への転換を掲げ、大学教育再生加速プログラム(AP)にも採択されている追手門学院大学のアサーティブ入試の事例を副学長の福島様からご紹介いただきました。

前提として語られたのは、小学校・中学校でつけるべき基礎学力がつけられないまま高校、大学へとしわ寄せが行っている現状への課題感。
以前、be動詞を大学の授業で教えている、ということが話題になっていましたが、中・高で理解してきていないから、大学で教えるしかない。
大学で本当に行いたい教育ができない。
高校も、中学までの基礎的な知識・技能が身についていなければ高校で行いたい教育はできませんし、中学校も同様です。
日本は基本的に小~高まで留年も飛び級もなく、理解度の関わらず進級できてしまうので、そういうことが起きやすいのだと思います。

その一方で、事例の中では大学入試が変わることで、高校で行いたい教育が行えるのでは、そんな期待感も今日は感じることができました。
(すでに小中でも、その解決のための改革が始まっている、というお話しもありましたが)

大学入試が高校教育に与える影響は少なくなく、入試の科目に合わせて科目を捨てたり、授業の中でも濃淡がついたり、というのはよくあることです。
進学校では、キャリア教育に時間を割くことは、受験勉強の時間を減らすことになるので嫌がられる、という話も聞きます。

しかし、今日のお話しの中では「教育・指導要領の理念に沿って、教育を行ってくれれば、大学はまるごと評価します」というお話しがありました。
また、評価方法が多様になるので、一人ひとりの力を伸ばす支援をしてあげてください、という話もありました。
全員が、とにかくペーパーテストの力の向上を目指していく必要はない、ということです。
もちろん、必要な基礎学力があった上ですが、それを身に付けた上でさらに全ての科目の学力向上に努めるのか、何かを研究したりするのか、地域の課題解決に取り組むのか、それは人それぞれなのです。

私自身の過去を振り返っても、本当に勉強だけをしていたら、もっと入試難易度の高い大学に行けていたかもしれません。
でも、学校の授業以外で、自分で問題を解いたり、暗記したり、という勉強は苦手でした。
調べ学習とか、ディスカッションとか、そういったことが好きでした。
習い事、部活、委員会、色々なことに取り組めたので、その時間をさらにペーパーテスト対策に費やして、他の大学に受かっていたらもっと良かったのでは、なんてことは思いません。(もちろん、選ばなかった人生がどうだったか、ということは知る由もありませんが)
とにかく、勉強はそこそこに、別のことにも時間を割けたのは、自分としては良かったな、と思うのです。

この大学入試改革の話は、現場の負担が増えるとか、試験が複数回になるのでずっと試験対策に追われることになるんじゃないかとか、色々言われています。
しかし、今日はとにかく、各高校が目の前の生徒を見て、どう育てたいか考えて、実行していっていいんですよ、というメッセージが各所で見られました。
参加者の方々の反応もとても良く、熱心な方々ばかりで、こういったメッセージをとても前向きに受け取っていただけました。

もちろん、理想を形にしていくのはとても大変ですし、教育なんてこれが正解!というものはきっと永遠にありません。
だからこそ、本質に立ち返って理想を語ることはとても大事なことですし、そういう話ができる方々と一緒にお仕事できていることが本当に幸せだな、と思いました。


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