過ぎゆく年月の濃さを決めるもの

こんばんは!
ブログを移転して初めての記事です。

今日は、今月末に予定されている夢職人のキャンプの保護者向け説明会でした。
プログラム、現地の様子、持ち物などを説明した後、保護者さんとスタッフが一対一で面談をし、お子さんの健康面や生活面の様子や不安について伺います。
なかなかここまでやっている団体はないと思うのですが、保護者さんと色々とお話しできる貴重な機会です。

そんな今日は誕生日でもありました。
去年の誕生日も夢職人の活動だったので、もはや違和感はありません笑

本当なら抱負とかを書くのでしょうが、社会人になってからは3か年計画くらいで考えて動いているので、去年書いてしまっていました。
書いていたことをざっくり振り返ると、
目標は「○○の結果を出せる人」になること
 →「できる」とは、することができるではなく、結果を出せるということ
 →○○と言えばカワハラ、というような特定なテーマを持って知ってもらうこと
チャンスはもらえているので、あと2年で達成できるように頑張ります!

ということで、他に何を書こうかと考えたのですが、ちょうどこの3月で東京に来て丸10年だったので、そのことを振り返りたいと思います。
10年前の私が何をしていたかというと、東京進出を前に必死で車の免許を取っていました。
自動車学校には18歳になる一ヶ月前から入れるのですが、仮免をとって路上に出るのは18歳にならないとダメなので、仮免から本免まで2週間というタイトスケジュールだったのです。
あとは英会話教室に通ったり、ExcelやWordの使い方を教わったり、市立図書館でボランティアで働いたり、スポーツジムでダイエットしたり、、、
今とあまり変わりませんね笑

とは言え、この10年間は10年前の自分には想像もしていなかった、というよりもそもそも未知だったことばかりで、とても濃い10年でした。

私が「教育」という分野に関わる原体験としてよく話しているのも、上京してきた時期のことです。
情報化社会と言われ、地方にいてもメディア等を通じて国内外の情報が入って来て、インターネットで何でも調べられる時代。
地方と都会の差は縮まっているという風潮を感じていた中で、実際に来て思ったのは、圧倒的な「機会」の格差です。
出会える人の数、多様さ、チャレンジできる場の数、多様さ、地元にいたときは手あたり次第に手を出していたからこそ、余計にその差を感じたのかもしれません。

今日、夢職人の場でスタッフのみんなにお祝いをしてもらったのですが、そのときに「25歳以下の若いスタッフたちに、やっておいた方がいいこととしてアドバイスすることは?」と振っていただきました。
そのときに伝えたのも「巡ってくる機会はとりあえずやってみること」です。

もちろんチャンスは自分でつかみにいくもの、という考え方もありますし、やりたいことが決まっている人はそうしてつかみにいきやすいかもしれません。
しかし、そうでなくても、チャンスはたくさん巡って来ています。
友人に誘われたイベント、たまたまテレビで観ていた時に紹介されていた企画、SNSで流れて来る情報の数々。
「あれもやった」、「これもやった」と自慢するだけの経験ゲッターになってしまってはあまり意味がないのですが、人からの評価に捉われず、自分の感性のままにピンときたものや、周りから巡ったきたものに飛び込んでみることって大事だな、と思うのです。
私が濃い10年を過ごせたのも、フットワークを軽くしていたからというだけで、あとは運と縁だったのだと思います。
もちろん、サークルの友だちと朝まで桃鉄(ゲーム)をやったり、カラオケや飲み屋でオールしたり、一晩中Youtubeを観たり、意識高い系なことばかりで学生生活を過ごしていたわけではありませんが笑

一方で、これからの10年を濃いものにするための方法は、別にあるのだろうな、と思います。
より深く、より自分にしかできないことをやっていく、そんな10年にしたいです。

green

この写真は帰りがけ、ふと目に留まって衝動買いした葉っぱ。
植物を育てるのは苦手ですが、うちの理事長曰く植物を枯らしてしまう人は教育に向いていないらしいので、今回こそ頑張ります・・・!


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