学ぶと働くの重なるところ

学んだことを使うこと、経験から学ぶこと、学ぶと働くの重なるところについて考える。企業の採用コンサルタントを経験し、2つの教育系NPOで活動する中で考えたことを綴ります。

「当たり前」を押し付けない

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こんにちは。
今日も出張なので、移動の新幹線の中で更新です。

昨日のことなのですが、NPO法人ADDSさんの事務所にお邪魔してきました。
ADDSさんは、自閉症があるお子さんとその保護者の方が、早期の適切な支援によってその可能性を最大限広げることを目指しており、保護者向けの研修や、学生セラピストの紹介などをされています。
昨日は、その自閉症スペクトラム障がいについて理解を深めるプログラムを、モニターとして体験をさせてもらました。

正直、教育に深く関わりはじめるまで、発達障害がここまで身近なものだということを、私は認識していませんでした。
自閉症については88人に1人ということなので、これまで知り合った人・子どもの中にも少なくない人数がいるということです。
しかし、程度の差があるとは言え、認識のないまま「普通の子」として扱おうとされる人も少なくないと思います。
そのような中で今回は、知識として頭にあるものが、実際に体感できる貴重な機会になりました。

プログラムの概要を簡単に説明すると、グループの中で、先生役や生徒役になり、学校の授業に模した課題に取り組むというもの。
私は生徒役だったのですが、生徒役には自閉症の様々なタイプに通じるキャラクターが設定してあり、その役を演じます。
さらには、軍手を何枚もつけたり、集音器や視野が狭くなるメガネをつけたりと、物理的な困難さも体験しました。
先生役は、それぞれの生徒役がどんな困難を抱えているのか、知らされないまま、生徒役に課題に取り組ませます。
先生役の、どうしたらいいのかリアルに戸惑う様子を感じ、逆に自分から困ったことを上手く発信できないもどかしさもあって、色々と考えさせられました。

私が一番実感したのは、「一人ひとり違う」という前提をどれだけ持てているだろうか、ということ。
先日観た映画『バベルの学校』にも通じる部分ですが、こんなことも分からない、あんなこともできない、そんな相手に対して自分の「当たり前」を押し付けているだけではないか、もう一度問い直す必要がある、と思いました。

プログラムの中で生徒役を演じながら、みんなが当たり前にできていることができない心苦しさを、短時間ながら感じました。
一方で、先生役が気にかけてくれ、特性に応じた対応をしてくれることで、自分もみんなと同じようにできた、という嬉しさもありました。
接する方が、「こんな当たり前のこともできないなんて」から「これは自分のやり方が良くないな、どうしたらいいかな?」と自分の言動を見直す方に切り替えられれば、子どもはいくらでも伸びていけるのです。

そこまで大きな困難ではないですが、私もナルコレプシーという病気を抱えています。
睡眠障害の一種で、夜間の睡眠時間に関わらず、日中眠くなってしまう病気です。
原因は未だに分かっていないらしいのですが、中学生くらいから発症する例が多いと言われ、私も実際にそうでした。
とにかく授業中は眠いので、中・高・大と授業は寝てばかりで、中・高ではよく怒られていました。
社会人になって、仕事でもそういった場面があり、さすがに困ったと思って調べたところナルコレプシーのことを知り、専門のクリニックに通って(何と初診は半年待ち!)いくつも検査をして、やっと診断を受けられたような形です。
処方される薬さえ飲めば日常生活にそれほど支障はありませんが、治る方法は分かっていないので飲み続けなければなりません。

幸い、この病気によって何か大きな失敗をしたことはないのですが(先生には本当によく怒られ、クラスメイトには呆れられていましたが)、先日病院に行ったときに医者から「もっと早くに対処していれば、学力が全然違っただろうね」と言われ、少し複雑な気持ちになりました。
現状に不満はありませんが、気づかなかったことで得られなかったものは確かにあると思うからです。

私の「寝てしまう」なんてことは、毎朝一錠の薬を飲むだけで、解決できるものです。
しかし、それが本人の「やる気」の問題だと捉えられた途端、解決不可能なものになってしまいます。

ADDSさんも、自閉症は早期発見・早期支援だとおっしゃっていましたが、そのための感度を上げておかなければならないな、と思ったのでした。


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