どうしようもなく違って、びっくりするくらい同じ「人」

こんばんは。
今日は仕事帰りに『バベルの学校』という映画を観てきました。
舞台はフランスの中学校。
海外から移住してきた20の国籍、24人の生徒が学ぶ、適応クラスを追ったドキュメンタリーです。

公開前から気になっていたものの観に行くタイミングがなく、のんびりしていたら今週金曜日までと知って慌てて行ってきました。
観ているときは淡々と(と言っても所々泣きましたが)観れたものの、色々思い返して統合していくと心にずしっと来るものがあり、正直まだ消化しきれていません。

私が終わって最初に思ったのは、人って全然違うし、本当に同じ、ということでした。
冒頭、生徒たちが自分の国の言葉の「こんにちは」を紹介するシーンがあります。
発音も、書く文字も、長さも、何もかもが違う「こんにちは」
しかし、使う場面は同じですし、ワードの持つ意味も共通していたりします。

また、フランスに来る前の日の気持ちを聞いてみると、寂しかったり、嬉しかったり、色々な想いを抱えていて、背景は様々でも親や家族に振り回されている部分は誰しも少なからずあって、もどかしさを抱えているのは共通だったりします。

将来の夢は、なりたいものは違っても、なりたいという気持ちは同じ。
宗教は、信じるものは違っても、信じる気持ちは同じ。
好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、嬉しいこと、悲しいこと・・・

何を「違う」と言い、何を「同じ」と言っていいのか、考えれば考えるほど、分からなくなってきます。
そんな中で、意見を交わし、ぶつかったり、一緒に涙したりしながら、生徒たちは日々を過ごしていました。

唯一、コアとなる大事なものだと思ったのが「受容」です。
自分の過去や現在を「受容」した上で、前に進む生徒たち。
生徒一人一人の違いを「受容」して、一人一人と向き合う先生。
そして、お互いを「受容」して、一つになるこのクラス。

人もモノも、画一化して最適化されている方が、きっと効率的です。
しかし、そのような環境の中では、人がどれくらい違い、またどれくらい同じなのか、感じることはできません。
「違い」に対して、反発するでもなく、目を背けるでもなく、正面から真摯に向き合いたい。
そう思える映画でした。


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