学ぶと働くの重なるところ

学んだことを使うこと、経験から学ぶこと、学ぶと働くの重なるところについて考える。企業の採用コンサルタントを経験し、2つの教育系NPOで活動する中で考えたことを綴ります。

地方の狭さがもたらすもの

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こんにちは。
更新したものと思っていた記事が更新できていなかったので、お昼休みで更新です。

さて、先日友人と話をしていたときのこと、「兄弟と話をするか?」という話が出ました。
私が、中学生になったときくらいから弟(2つ年下)と話せるようになって、2~3時間しゃべってることもあった、と言うととてもびっくりされたのです。
何を話すの?と聞かれたので考えてみると、中学も高校も同じだったので、ほとんど先生のこととか学校の様子だったな、と。
でも、この「小・中・高が弟と同じ」というのも、地方で、通う学校の選択肢がなかったからこそ起きたことで、首都圏ではメジャーなことではないのでは、と気付きました。

ちなみに、よく話題にしている高2の弟も小・中・高が同じなので、いる先生こそ違うものの校舎や行事は同じということで、共通の話ができます。
年末も、高校内のマラソン大会で優勝したと言っていたのですが、私も高校時代にやらされているので、説明がなくても通じました。
さらに言えば、祖母も叔母も同じ高校ですし、イトコ2人も同じでした。

選択肢が少ない中で生活するということは、そこに住む人の共通体験や共通言語が多くなる、ということなのでは、と思います。
それは、コミュニケーションを取る上でとても楽なことです。
中学生の時に通ったお店はここ、高校の時に遊んだのはこれ、みたいな感じです。
行動パターンも同じなので、よく町で知り合いに会います。
修学旅行前のユニクロでの同級生との遭遇率はすごかったです笑

そして裏を返すと、共通体験や共通言語を持たない人とのコミュニケーションが苦手(不慣れ?)ということでもあるのでは、と思ったのです。
ある友人は「コミュニケーション能力の高い人というのは、どんなにバックグラウンド(地域・年齢・職業・趣味嗜好など)が異なる人とでも他愛のない話をできて楽しめる人ではないか」とよく言っています。
これまでの話と併せて考えると、この能力を高める機会が、地方にはあまりない、ということになります。
さらに言うと、地方の町が閉鎖的だと言われるのは、バックグラウンドの異なる人とのコミュニケーションを苦手とする人が多いから、とも考えられます。
私は地方に入っていくような活動はほとんどしていないので、イメージになりますが、そういった閉鎖的なコミュニティに入っていこうとするときに「ここは外部の人に閉鎖的なところである」と思って身構えるよりも「この人たちは、共通体験・共通言語のある人たちとしかコミュニケーションしてきていないから、不慣れなのだ」と考えた方が、対策が考えられる気がします。
また逆の立場で考えると、自分がコミュニケーションが楽なコミュニティに引きこもっていないか、定期的に点検をする必要もあるな、と思います。
教育の分野も似たところがあるので、入っていくにしても受け入れるにしても、自分のコミュニケーション能力の問題と捉えて取り組んでいこうと思いました。


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