大学の不思議を考える

今日は、大学職員をしている、大学時代のサークルの先輩のお誘いで、大学の学習成果と評価に関する勉強会に参加してきました。

一般の方向けにざっくり説明すると、大学の授業でどんな力を身につけさせるのか、しっかり定義してちゃんと評価しましょう、という動きがあるのです。

自分の大学時代を振り返ってみると、ほとんどが試験一発の評価で、それは先輩や友人との人脈で全てが決まり、それが当たり前だと思っていました。
いわゆる、単位は簡単に取れるけど、何も身に付いていない、という典型的にダメな大学生です。

しかし、改めて今回の勉強会を経て当時を考えてみると、授業でちゃんと学べたのかどうか、評価できていないということなので、(授業にあまり出ていなかった私には有り難い環境でしたが)今さらながらそんな当たり前のことさえも行われていなかったのか、、、という残念な気持ちになりました。

この仕事になって改めて大学を見てみると、当時は何も考えずに「そんなものか」と思っていたことが、「いやいや、そんなものか、で流しちゃダメでしょ!」というようなことばかりであることに気付きます。

授業がつまらないこと、履修登録者の半分しか席数のない教室が割り振られていること(半分はサボる前提?)、毎年同じ試験問題が出ること、電子辞書持ち込み可の中国語の試験、Σが読めないのに経済学科に来た子がいたこと、「How are you?」「Fine thank you. And you? 」←ここで会話が止まる付属校出身者…
挙げ始めるとキリがありません。
全て飲み会のネタにしかしていませんでしたが、笑えないことばかりです。

一方で評価の話に戻ると、大学の先生というのはただ教えるだけでなく、教育目標を立てて授業を設計し、適切な評価方法を考えて実行するという、とても研究の片手間?とは思えない仕事を、誰に教わることもなく求められているわけで、なかなかの難題です。

まだまだやるべきことはたくさんあるな、と改めて思ったのでした。


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