音信不通への衝撃ともやもや

今日、大学時代の友人から「衝撃的なことがあった!」と電話がありました。
何かというと、外部の会社から派遣されてきた(IT系なのでよくある)若い子(23サイ)が、入って3日目で来なくなった!というもの。
今週は研修期間のような位置づけで、私の友人が色々と教えていたそうなのですが、3日目の朝は出勤時間になっても出勤せず、電話も出ず、派遣元の会社の社長さんも家にまで行ってみたものの居留守っぽい感じで会えず・・・だったそうです。
よくあることって言っても身近で起きれば衝撃なわけで、その電話でした笑
ちなみに、私がそういった失踪に初めて出会ったのは大学3年生のとき。
とあるアルバイトで、新しく入ってきた人(確か30歳近いフリーター的なお兄さんだった)が、初日を終えて次回から来なくなり、音信不通→制服だけ郵送されてくる、ということがありました。
そのときの「こんなことする人いるんだ!」という衝撃は今でも忘れません。
安易に辞めてしまう、ということも気になるのですが、音信不通になる、という辞め方がどうしても腑に落ちない私。
確かに、何かを始めるより、何かを辞めることの方が労力がかかることって多いと思います。
適切な例えか分かりませんが、結婚より離婚の方が大変、というのもたまに聞く話です。
しかし、本来や辞める側と辞められる側の両方で分け合うべきその労力を、辞められる側に押し付けて逃げているような、自分本位な感じがしてしまうのです。
もちろん、環境にも依りますし、言うに言えず身動きが取れなくなって、ということもあります。
それを悔いて、やり直す人もいると思います。
一方で、一度その辞め方を覚えてしまうと、戻ってこれないようにも思うのです。
もう一つ思うのが、こういう行動はいつでもどこでも、どんな年代でもあるのだろうか、ということです。
借金などののっぴきならない状況においては昔からあったかもしれませんが、ここ数年(10年くらい?)のような気もします。
私の地元であれば、ある程度地域のコミュニティが残っているので、おそらくは近所に広まり、親や親戚も何か言われ、その地域で再度他の仕事を見つけるのは難しいと思います。
東京ではそのようなことは起きないでしょう。
このような環境の変化、良く言われるつながりの減少も関係しているのでは、と勝手に思っています。
今日はそんな「もやもや」を思い出したのでした。


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