残る地域と残らない地域の違いは、「おいでよ」「ようこそ」かもしれない

こんばんは。2週連続の台風のせいで家にいる時間は長くなりましたが、それ以外は平和に過ごしています。
最近の成長(?)は、焼酎も少し飲み慣れてきたことと、2次会はスナックでカラオケ、を経験したことです笑

これまで、「都市」と「地方」というざっくりとした括りで書いてきましたが、「地方」の中でも「日南」でなければ、私はこんな風に思い切り良く移住できなかったかもしれないな、と最近思っています。

日南がすごいなぁと思うのは、私が移住してきたと言うと「ようこそ」と言ってくれることです。
当たり前に思うかもしれませんが、もしも私が地元八代に住んでいて、東京から縁のない人が移住して来たと聞いたら「何でわざわざ?東京に住んでいれば良かったのに」と言ってしまうかもしれません。
実際、東京で出会った人に「旅行で熊本に行ったことがあるよ!」と言われると、「どうして?何をしに?」と返してしまっていました。
私自身は生まれ育った土地なので、熊本も八代も大好きですし、中を知らない人に馬鹿にされればもちろん怒ります。
かといって九州外の人がわざわざ旅行したり、移住したりする程の価値ってあるのだろうか?と思ってしまうのです。
自信がない、と言えば良いのでしょうか。
行ってみたけど何もなかった、楽しめなかった、と思われるんじゃないか、心配になるのです。

もちろん、日南の場合は移住してくる人が増えていることによる慣れだったり、気を遣っているだったり、というのは多少はあるかもしれません。
ただ、日南に限らず「おいでよ」と言ってくれる友人たちの町を思い返すと、海士、上勝、小布施、尾道、糸島など、どこも特徴が浮かぶような地域ばかりで、かつ友人たちも地域に深く関わっていることが多いのです。
「おいでよ」や「ようこそ」には、その町に対する愛着と、コミットメントの深さがあるのかな、と。

実は、私が九州に帰ると言ったとき、母には反対されました。
こっちには仕事がないから、大人しく東京にいなさい、と言うのです。
もちろん、親として心配してくれたことと思いますし、これまでも「地元に帰ってきて公務員や銀行員になりなさい」などと言われていないだけありがたい、と思っています。
しかし、親が子どもに安心して「戻っておいで」と言えない町だというのは、少し寂しいことですし、そういう町は少なくないように感じています。

正直なところ、人口減少を考えれば、全ての市区町村がこれからも存続するのは難しいでしょう。
ではどこが残り、どこが残れないかというと、経済規模とか人口とか資源とかではなく、そこに住んでいる人(しかも役所の人とか観光業の人とかではなく、暮らしを営んでいる普通の人)が笑顔で「おいでよ」、「ようこそ」と言える町なのではないかな、と思ったのでした。


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