向き不向きで誤魔化されるもの
土日はのんびり遊んでの月曜日。
持ち帰った仕事をほんの1~2時間やっておけば良かったのに、とまたまた後悔する終電帰りの夜です…
そんな今日もインターン生の一言から展開。
今日拾った一言は「俺って営業って向いてないと思うんですよね」です。
この言葉、就活中の大学生にも結構言われます。
正直、営業として、色んな会社の採用の仕事をやっていた自分としては、「営業って広すぎて一括りにされてもよく分からん」と思ってしまいます。
BtoCかBtoBかでも違うし、新規開拓中心なのか、既存客のフォロー中心なのかでも必要となるスキルは異なります。
もちろん、だからといって万人が営業という仕事ができるはずだ、とも言いませんが。
向いてない、という言葉の裏には、ネガティブなイメージとか、結果が出せないとダイレクトに自分にかかってくる怖さとかがあるんだろうな、と思いました。
そう考えると、向き不向きという捉え方は少し怖いな、と思います。
できないことや、やりたくないことに対して、「向いていない」という言葉が免罪符となって誤魔化されてしまうことがあるからです。
しかも「不向き」には、それを克服するものだ、というイメージがありません。
「苦手」であれば、それがゴール達成に向けて必要なことなら克服しろ、となります。
なのに「不向き」と呼ぶと途端に「仕方ない」という捉えられ方になってしまうのです。
さらに、得意か不得意か、と向き不向きには、そう呼ばれるプロセスも違うように思います。
得意、不得意はそのことをやった経験から語られますが、向き不向きはやったことのないことでも語られるのです。
例えば営業はやったことないけど、初対面の人と話すのが苦手だから、営業は向いてない、みたいな感じです。
全てを経験してから仕事を決めることはできませんが、せめて経験をたくさん積み、例えば初対面の人でも子どもなら話せるなど、材料を色々持っていた方が良いんだろうな、と思いました。