○○教育はソフトなのでOSをアップデートしたい

工藤先生と苫野先生の『子どもたちに民主主義を教えよう――対立から合意を導く力を育む』を読みながら、学校や教育にどう関わりたいのか棚卸しをしていた先週。

結局のところ私はヒドゥンカリキュラムにアプローチしたいのかもな、と思い至っています。子ども観とか教育観とも言えるかもしれない。

取り組んできたキャリア教育とか起業体験プログラムとかはソフトとかアプリみたいなもので、特定のそれを入れたから根本的に何かが変わるとかはありません。入れても使いこなせないと価値は下がるし、入れすぎたら動作は遅くなる。

子ども観や教育観はそれらのベースにあるOSなんじゃないかな、と。私はそのOSのアップデートをお手伝いしたいのかも、と考えています。

例えば主体性を発揮してもらえるようにプログラムを組んだとしても、現場の先生たちが手取り足取り失敗しないように先回りしてしまったら機能しない。

楽しんで取り組んで欲しいのに、真面目にやれと怒鳴りつける先生がいたら雰囲気が台無しになる。

そんな数々の経験の中で、今だと探究という言葉がふわふわと踊っていることに違和感が募るばかり。

一方で、思い返せば先日、木城小学校で講師をさせていただいた「居心地のよい教室、居心地の悪い」という研修は言ってしまえばヒドゥンカリキュラムの研修だったなぁと。

巡回相談員として様々な学級(研修にあたって数えてみたら3年間で約100学級!)を観察したことも影響していると思います。

じゃあ具体的に何をするっていうのはまだ何も思い付いていませんが、新年度からは動きをがらっと変えたいと思っているので、それまでに何か見つけたいと思います。