学歴志向の弊害を考える

先日、映画『Most Likely to Succeed』の上映会をしましたが、この手の新しい教育手法で必ず課題に上がるのが「受験対策はどうするのか」です。

考える力や主体性など、様々なソフトスキルの重要性は分かる。社会に出たら必要だ。だけど、その手前に大学受験があり、そこで失敗したらどこにも進めない。まずは良い大学(ここで言えば有名とか、学力の高い、です)に入り、社会に出る準備はそこから始めればいい。映画では保護者も高校生本人たちもこんな反応でした。

背景には「学歴が良いに越したことはない」という意識があると思います。今や学歴が良くても将来が保証されるわけじゃないことはみんな分かっている。それでも、良いに越したことはない、と。

それに対する反論には不十分かもしれませんが、「高学歴を目指す」という志向は弊害も大きいと感じます。

一つはプライドとプレッシャーの問題です。

私は最初に入った会社で、企業の新卒採用の支援をしていました。メインは企業向けに採用広報や採用業務の効率化、選考の精度向上などのお手伝いだったのですが、途中で新卒紹介の事業が始まり、就職活動中の大学生の支援も担当しました。具体的には、就職活動が上手くいかない大学生にエントリーシートの書き方や面接での話し方を指導していたのですが、東大・一橋・早稲田・慶應といった有名大学の子が陥るのが、「有名大学に行ったからには、ある程度の有名企業に入らなければ」という思考です。本人のプライドなのか、親や周囲からのプレッシャーなのか、企業選びがまずそこから始まってしまうのです。

二つめが、受験と就職活動の違いです。

受験勉強は、必ず点数が出て、できたところ、できていないところが明確です。努力も見えやすいですし、目標にどこまで近づいているのか、A判定・E判定のように常に客観的指標を用いて立ち位置を知ることができます。
しかし、就職活動の場合はそうは行きません。志望するA社にはどれくらいの確率で合格しそうか、誰も教えてくれませんし、合格者の傾向などを見ても主観的なことしか言えません。業界で同じような位置にある会社を受けて、A社は不合格だったのにB社は合格だった、なんてことも十分に起こります。

三つめは、ものの見方、企業の選び方の問題です。

一つめと近いのですが、偏差値だけで大学を選ぶように、企業のことも知名度や業界におけるポジションなどで選ぶ学生は少なくありません。その結果、全ての業界の1~3位を受けるみたいな学生がたくさん出てくるわけですが、「有名企業だから選びました」と言ってくる学生を企業は採用しません。(そう明言しなくても、他にどんな企業を受けていますか?という質問で選択の軸を探られます)上手に誤魔化して入社できても、きっと入社後に苦労するでしょう。

もちろん、有名大学に進学することは悪いことではありませんし、卒業者でも社会で活躍している人はたくさんいます。しかし、「偏差値の高い大学ならどこでも良い」「とにかく何学部でも良いからこの大学の学生になりたい」そんな基準で大学を選び、受験勉強を重ねた子たちは、就職活動に限らず大学生活で苦労をしています。
「高学歴を目指す」という志向自体の課題にも目を向けて欲しいと思うのでした。