地域への愛着を育む、は結果であって目的であるべきではない

昨日参加した全国マイプロジェクトアワード宮崎サミット、素晴らしいプロジェクトがたくさんあったのですが、彼らの学びとは関係なくモヤモヤするのが、やはり「地域活性化」「地域に愛着を」というキーワード。
そのテーマに取り組みながらも「地域活性化している状態ってどんな状態?」「地域への愛着って必要なの?」という前提を考えることなく、周りの大人に言われるがままにその方法を考えているような姿に、「大人の都合に高校生を付き合わせてない?」と思ってしまうのです。
もちろん、その前提からしっかりと考えさせているところもあり、一概には言えませんが。

今回に限らず、キャリア教育や探究活動の中で、目的に「地域への愛着を育む」が含まれていることは多々あります。しかし、これがどうしても好きになれません。

誰が言い始めたのか分からないのですが、この間バラエティ番組で「恋は自分本位、愛は相手本位」という名言を披露している芸人さんがいて、よく考えたら同じことかも、と思いました。

地域への愛着を育むことを目的にするって、要は「私のこと好きになって」「私ってこんなに良いところがたくさんあるの」という自分自分な感じ。
相手のことを想って、相手に価値のあるものを提供する=魅力的な地域になる・変化していく・努力をする、もしくは相手の選択を全力で応援するという相手本位が足りないのでは、と思うのです。

そもそもの教育の議論も「子どもたちのために何が必要か」という相手本位な前提がなければ、話がかみ合いません。

地域への愛着を育む、が目的にあることで、予算もつきやすくなるし、メディアにも取り上げられやすくなるので、対外的なさじ加減をしなくてはいけないのが私自身も矛盾するところではあるのですが、本質的には結果論に留めたいなと思うのでした。