何を教え、何を教えないかを考える

明けましておめでとうございます。
昨年は仕事もプライベートも新しい展開が多くて、慌ただしい一年だったように思います。
2018年はブログ記事も27本書いていたのに、2019年はたったの3本…
最近知り合った先生にも、ブログを読みましたよ、と言っていただけたので、やはりちゃんと書かなければ、と決意を新たにしているところです。

私が最近気になっているのは、多様性の受容やハラスメントのこと。先日も世界経済フォーラム(WEF)で発表されたジェンダーギャップの国際比較で、日本は121位と過去最低を更新し、絶望的な気持ちになりました。

こういう話題のとき、反発する人は必ずいます。認める、認めない、そういうつもりじゃない、主張は様々です。
ただし、ダイバーシティを謳うのであれば、それらの全ての主張を受け止め、認めないという考え方を認める、ということも必要なはずです。
矛盾するようですが、ダイバーシティの推進もまた、「受容の強制」の側面を持っています。

また、学校教育や社員研修の現場でこういったことを知識として扱おうとすると、範囲は膨大になります。
LGBTを含むジェンダーのこと、病気や障がいのこと、SNS関係で言えばプライバシーの問題、グローバルの視点から人種や宗教、歴史まで・・・
相手に配慮するためには確かに知っておくことも重要ですが、正直なところキリがありません。

個人的には、「相手を傷つけてはいけない」という1点に絞るべきかな、と思います。

前に読んだ大空小学校初代校長の木村先生と、麹町中学校の工藤校長先生の対談記事の中で「子どもたちの気持ちは変えられないけど、行動は変えられる」という話があり、強く印象に残っています。
クラスみんなのことを好きになれ、ではなく、心の中で嫌いでもいいけどそれで悪口を言ったり、仲間外れにしてはいけない、といった行動を教えよう、というようなお話でした。

もちろん、多様性の受容のためには、他者と自分は異なるという認識も必要ですし、前述したような知識がゼロであっていいなんて思っていませんが、逆に知識を得ても「相手を傷つけてはいけない」という前提を忘れてしまうと、余計な反発を生むのかな、と思ったのでした。