教育改革が届くまでの時差を考える

少し前に、パンテーンの「#この髪どうしてダメですか」というキャンペーンが話題になりました。髪型校則に対する疑問を投げかけるキャンペーンです。

私の通っていた中学校では、私が入学した年に男子は坊主にしなければならない、という校則がなくなりました。ただし、男女共に肩に付いちゃダメ、という校則はあったため、女子もほぼみんなショートカットで、卒業アルバムを見るとびっくりするくらい同じような髪型です。

その話を東京ですると、「え、昭和?!」と必ず笑われるため、飲み会ではネタになっていましたが、NPOという立場で教育改革の最前線に触れてから宮崎に来てみると、この時差は笑えないな、と日々感じます。

都市部で10年前に発表されていた事例が、こっちでは今やっと最新事例として紹介される現実。その間に、その事例は実践が重ねられ、課題が見つかり、改善され、そして広がったり、廃れたりしているのです。それを、同じかそれ以上の時間をかけて同様に追いかける非効率さ。

もちろん、地方でも最新事例を取り入れながら取り組んでいる方はいらっしゃいますし、都市部で取り組んでいる方も学校の中では孤軍奮闘という方が多いです。しかし、学外のリソース(他校で同様に取り組んでいる仲間とのつながりや、学校外の研修会、協力してくれる外部人材)の充実度では、どうしても劣ってしまいます。

では、どうしてこんなに時差が発生するのか。もちろんビジネスだって、流行だって、地方に届くにはそれなりの時差は発生しています。しかし、同じ情報に触れられるようになった今、10年もの差が出ているとは思いません。なのに教育は都市部が進めば進むほど、地方との差が開いていく。

これは私の主観ですが、教育分野独特の2つの考え方があるように思います。

一つ目は、「うちの子どもたちは違う」

二つ目は、「私には、私のやり方がある」

もちろん、この二つとも、間違った考え方だとは思いません。子どもたちは一人ひとり違いますし、先生それぞれに合ったやり方があります。でも、それは「変えない理由」にはならない。

教育分野独特と書きましたが、地方創生分野も近いものがあるかもしれません。「うちの地域は違う」「うちには、うちのやり方がある」

これもまた、間違ってはいません。他地域の成功事例をそのまま持ち込んでも上手くいかないのは、その地域の特性、その地域のやり方にマッチさせられていないからです。

でも、「だから終わり」ではなく、うちの子どもたちにも取り入れられる要素は何だろうか。自分のやり方のここは変えられるかもしれない、と考えてほしいと思うのでした。