視野を広げるのは、人に優しくなるためかもしれない
人は、相手が自分の思う通りの行動をしないとびっくりして、怒ったり悲しんだりすることがあります。
何かしてあげたときにありがとうと言ってくれなかったとか、叱ったら逆ギレされたとか。
つい「ありえない!」と言ってしまう、そんなシチュエーションです。
最近思ったのは、視野が狭い(=知っているパターンが少ない)と、怒ったり、悲しんだりする可能性が高まるのかも、ということ。
例えば海外旅行をすると、店員さんの愛想が悪いとか、交通機関が遅れるとか、ぼったくられるとか、日本ではなかなか遭遇しないことが日常的に起きます。
知っていれば、「こういうことあるよね」と寛容に受け止められますが、全く経験がなくて知識もないとびっくりして、「なんてひどい旅だったんだ」と憤ることになるかもしれません。
私も初めての東南アジア旅行でベトナムへ行き、意気揚々と買ったアオザイが10分の1くらいの値段で他の店で売られているのを見たときはしばらく凹みました。
そういうことがあると知っていれば、自分次第でダメージを小さくする工夫もできます。
しかし、知らなければ、突然のことに混乱し、対処できずに憤るしかないかもしれません。
ただ、実際には背景も考え方も異なる相手を「ありえない!」と責めたてたところで、どうにもなりません。
外国籍の人と結婚するとか、学校を中退するとか、結婚前に妊娠するとか、恋愛対象が同性とか、本人に悪意はないのに、「ありえない!」と責め立てられてしまうようなことが、世の中にはたくさんあります。
数が増え、身近になって少しずつ理解されるようになってきたものもありますが、ごく一部でしょう。
最近、こんなニュースも話題になりました。
▼格差容認、都市部ほど強く 高学歴・経済的にゆとり 朝日・ベネッセ調査(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/DA3S13436964.html
自分の見えている範囲が狭いから、こういうことを言い出すのかな、と思ってしまいます。
怖いのは、こういう層が政治家になったり、社長になったり、日本の中枢を担うということです。
キャリア教育の中で、視野を広げよう、多様な生き方に触れよう、というのがありますが、自分のキャリアの選択肢を増やすというより、自分と異なる誰かを受け入れたり、みんなと異なる自分を受け入れたりするためにあると良いのかもしれないな、と思ったのでした。