地方に足りないのは、そこそこ生産性の高い仕事

こんばんは。
今日も地元のお祭りに行って美味しいお肉を食べたり、岩盤浴に行ったりと日南ライフを満喫していました。
一人で出歩くのが苦ではないというのは、移住にとっては大事な要素かもしれません。

さて、少し前なのですが、仕事の関係もあって『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(著・河合雅司) という本を読みました。
人口減少に伴う日本の危機的な状況がひたすら提示される、なかなか興味深い本ではあったのですが、その中で個人的に一番すとんと来たのが、「日本は生産性の高い仕事を東京に集約し、生産性の低い仕事を地方に任せることで発展してきた」という話。

地方も人手不足で、求人倍率も1.0を超えているのに、なぜ「地方に仕事がない」と感じてしまうのか。
正社員の求人が少ないだとか、オフィスワークが少ないだとか、色々な切り口で語られてきましたが、生産性の高さという切り口が一番分かりやすいな、と思いました。

最近、「生産性」という言葉がよく出てきますが、私の中ではざっくり「時間あたりで生み出せる価値」だと理解しています。
消費の上では「付加価値」とも言われますが、結局はこの時間当たりで生み出される価値が、給与(時給)にも影響してくるわけです。
スキルや能力が高ければ、(そしてそれが仕事とマッチしていれば)生産性も高くなります。

生産性の高い仕事があるということは、どんどん成長して収入を上げていける余地があるということです。
もちろん、地方でも生産性の高い仕事を自分で生み出すことは可能ですが、いきなりそこへ行けるかといわれると、ハードルが高い。「そこそこ」くらいのやつが欲しいわけです。

東京の場合は生産性の高い仕事が集まっているだけでなく、それが組織化されているので、自分の能力に応じて少しずつステップアップしていくことができます。
その組織に依存すると、組織から離れたときに何もできなくなってしまう、というリスクはあります、そうは言ってもスモールステップが用意されているというのは、楽なものです。

じゃあどうしたら良いか、それはこれから考えていきたいのですが、とりあえず「生産性」という切り口を発見した話でした。
(ちなみに、この本の主題は仕事の生産性の話ではなく、単純に発想のきっかけとして紹介しただけですので、悪しからず…)


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