「私だったら・・・」の怖さ

今日は午前中に来客。午後はひたすらデスクワークでした。
そんな中、入って3週間目になったインターン生に、ある課題を課してみました。
それは、「1日5つ質問をすること」
仕事のやり方や内容、その他気になることを何でも、終業前の30分とって5つ質問してもらうのです。
今朝、ふと思いついて今日から始めてみたのですが、疑問に思っても聞くタイミングのなかったことや最近気になっていることなど、色々な質問を考えてくれました。
その中で最後に来た質問が「ニュースになっている高校教員の入学式欠席問題をどう思うか」というもの。
参考→高校教諭が入学式を欠席 「息子の入学式に出席のため」という理由は許されるか
私の中で色々思うところはありつつ、皆さんが色々言っているので書かないでおいたのですが、聞かれて答えたからにはちょっとだけ触れようと思います。
私のこの問題そのものに対する意見は「当事者(そのクラスの子たち)以外にジャッジする権利はない」し、「クラスに悪影響なのかどうかは、その後のプロセス次第だから今は測れない」というものです。
少なくとも、違法性はないので。
もし入学式の欠席によって生徒にネガティブな気持ちを抱かせたのだとしても、その後の指導で苦労することになるのは、やはりその担任の先生ですし、その対策の上で決断しているのであれば、今は見守るしかない、という考えです。
まぁ、先生のクラスをマネジメントする力に依るものなので、入学式一回で致命的な何かが起きる、とは思いませんが。
さて、こういった「賛否両論」な議論で一番怖いな、と思うのは「私だったらこうする」という意見です。
・私がこの担任の先生だったら、担任をする高校の入学式に行く
・私がこの担任の先生だったら、子どもを大事にするから子どもの入学式に行く
・私がこのクラスの生徒だったら、不安に思う
・私がこのクラスの生徒の親だったら、自分も子どもの入学式に来ているわけだし、許せる
色々あるでしょう。
しかし、「私」は「この先生」でも、「この生徒」でもありません。
そして、多くの人が「この先生」のことも「この生徒」のこともよく知りません。
もしかしたらその先生はこれまで、一度も子どもの学校行事に行ったことのないくらい仕事を優先していて、最後のチャンスだったのかもしれません。
逆に、どんなときでも自分の子どもを優先して休む先生だったのかもしれません。
その高校に入ってくる生徒たちは厳しい受験をくぐり抜けた自立している生徒たちで、先生の事情をくみ取ってくれそうだったのかもしれません。
逆に、問題のある生徒が多く、入学式以降来ないような生徒もいて初日がとても重要だったのかもしれません。
議論をしている多くの人たちが、そのような背景を知らないで言っているのではないかと思います。
よく、新人研修の企画をしているときに、「相手の立場に立つ」というのは、私という人間がその状況に置かれることを想像するのではなく、相手のことを考え、理解し、その人だったらどうするのか、を想像しなければならないのに、それができていない、という話をしていました。
ということで、視点も低く(単純に入学式一日を切り取ってい)て、さらに自分の視点(「私」だったら)だけでその先生に対して非難しまくる人たちに対しては、ちょっと何だかな・・・と思ってしまったのでした。


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