学ぶと働くの重なるところ

学んだことを使うこと、経験から学ぶこと、学ぶと働くの重なるところについて考える。企業の採用コンサルタントを経験し、2つの教育系NPOで活動する中で考えたことを綴ります。

熱意を持ち続けるのは難しい。

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この間、Facebookに意識高い系が意識高い系を卒業する時期について書いたら、色んな方から意見をもらい、とても面白かったので、少しまとめてみたいと思います。

発端はこちらのブログ
ある大学生が書いてるブログで、意識高い系高校生について書かれた記事が面白かったのでシェアしてみました。
注目したのは、意識高い系高校生は大学生になると普通の大学生になるらしい。という部分。

私は常々、意識高い系大学生が社会に出るとただのサラリーマンになる謎を(勝手に)考察してたので、意識高い系高校生も大学生になるとそうなのか、というのを興味深く思いました。
ちなみに私の(勝手な)観察に依ると、意識高い系社会人は、社会人になってから意識高い系になっています。

そんなことを書いてFacebookでいただいた意見をまとめると、争点が大きく2つに分かれました。

・そもそも意識高い系というのは、遅く来た反抗期や、はしかみたいなもので、いずれ終わる

・成長し続ける人と、「精神的引退」をしてしまう人の2パターンがいる。

1つめの、「意識高い系というのは、遅く来た反抗期やはしかみたいなもので、いずれ終わる」というのは、「意識高い系」をどう定義するのかにもよるのですが、ある定義に則ると、そうなんだろうな、と思います。

ただこの定義を深めはじめると、私は意識高い系なのか?ということを考えることになり、危うく高校生から今までの10年くらい反抗期を引きずっていることになるのか?いや、もはや小学生や幼少期からこの志向はあんまり変わっていないぞ、という自己嫌悪に陥るので、考えないことにします。
(意見を下さった皆さま、すみません。。。)

私が気になるのは、「精神的引退」の方です。
「意識高い系」に限らず、もっと広い意味で、熱意がある「やってやるぞ!」な人が、いつしか「このくらいでいいんじゃない?」となるのは、よく見られることです。

「精神的引退」の理由やプロセスは色々あると思いますが、この意見を伺って私は、人は誰にでも「精神的引退」が起こる、という前提を知っているかどうか、は大きいのではないかな、と思いました。

私の偏見かもしれませんが、やる気のある人は、やる気のない人に「何でやる気を出さないんだ!」を非難し、自分がやる気のない人になる可能性を考えていないように思います。
少なくとも、私はそういうところがあります。
でもそういう人も、気付くと大人しくなっていたりします。

自分には「精神的引退」が起こり得る、という前提で人に接したり、対策を立てたりするだけでも違う結果が得られるのではないでしょうか。

ちなみに、私は自分が気を抜くとサボると知っているので、役職に手を挙げたり、予定を埋めたり、色んなコミュニティに属したりするようにしています。
頼られると張り切ってしまうのは、長女の特性ですね。
単純な自分で助かっています(笑)


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