学ぶと働くの重なるところ

学んだことを使うこと、経験から学ぶこと、学ぶと働くの重なるところについて考える。企業の採用コンサルタントを経験し、2つの教育系NPOで活動する中で考えたことを綴ります。

何をもって過保護とするのか

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こんばんは。
ここへ来てインフルエンザが流行ってきているようですね。
まだ直接会っている人にはいませんが、じわじわ近づいてきていて心配です。

さて、少し前に話題になった、大学生への過保護な対応をする大学のことについて、今日は書いてみます。
NAVERまとめでは、「カンベンしてくれ…過保護に進化した大学のサービスたち」と出ていました。

初めこういった記事を見たときには、「いやいや、やりすぎでしょ」と思っていたのですが、中退予防の観点から大学とディスカッションをする中では、むしろ良い事例として紹介することもあり、自分の中で整理をしたいと思ったのです。
題して「何をもって過保護とするのか」。

結論としては、対象者の成熟度(よりちょっとだけ上のレベル)に合わせた対応になっているか、だと考えています。

極端な例ですが、例えば「くつ下をはかせてあげる」という行為があったとします。

これが0歳児であれば、過保護とは言われません。
ただし、5歳児であれば、過保護と言われるかもしれません。
一方で、何らかの障害があってどうしても自分ではけないとすれば、10歳だろうと20歳だろうと、過保護とは言えません。

例えば「友だちをつくる」ということ一つをとっても、これまで受けてきた学校教育、家庭教育、経済的な環境などでその力は大きく異なります。
18歳になれば、誰しもが自ら人と関わり合う意欲を持ち、友だちをつくるためのコミュニケーションを取れるようになるわけではありません。
「大学は自分で学ぶところ」と言いますが、その「自分で学ぶ」ということができない学生に対して「自分で学べ」というのは、路上に放り出すのと同じことです。

一方で、できないからといって、いつまでも手取り足取りやってあげるのは、やはり過保護です。
常に「どうやったらできるようになるのか」を考え、少しずつステップを登らせてあげるのです。

夢職人で小学生をキャンプに連れて行くとき、小学校1・2年生だと、自分の荷物を自分で整理できない子がいます。
そういう子に、1日目から「ほら、全部自分でやって!」とだけ言って自分だけでやらせて、何か忘れ物をすれば「だから、忘れ物ない?って聞いたのに!」と怒っても、上手くいきません。
よくスタッフがやるのは、取り出してほしい持ち物の名前とイラストを大きなスケッチブックに書いておき、それを読み上げながら取り出させることです。
さらに忘れ物がないように、全員が揃ったらみんなで一つずつあるか確認する、ということもあります。
ただし、これを3日間続けていては、自分でできるようになりません。
例えば2日目には読み上げずに置いておくだけでも、子どもたちは自分で見て準備をします。
班長さんに、忘れ物がないか、昨日みたいにみんなで確認してね、と言うと子ども同士でチェックしてくれます。
3日目には、必要な持ち物は班長さんにだけ伝えて、私がいなくても準備が整うようにしたり、全体で持ち物の連絡があるときには自分たちでメモをするようにして準備してもらいます。

これは分かりやすくした極端な例ですが、少しずつステップを登らせるというのは、こういうイメージです。

特に大学生の場合、卒業したら社会人です。
手厚くフォローを受けた結果、社会に出てから「はしごを外された」形になることは少なくありません。
つい先日も、人材紹介会社で働く友人と話していて「自分でキャリアを考えて決断できない人が多い。内定をもらってから、奥さんに反対されたのでやっぱり転職自体を止めます、なんていうこともある」という驚きの話を聞きましたが、「自分で考える、決める」という機会を与えられずに来てしまったのかな、と思いました。

こうやって考えていくと、過保護か過保護でないかは、外からはなかなか判断できません。
年齢などではなく、一人一人の成熟度があるからです。
ただ、対応する側としては、現状とゴール、そこへ至る道筋の設計次第で、過保護じゃないと言えるかどうかは大きく違うな、と思ったのでした。


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