絞ることと、選択肢を減らすことの間にあるもの

こんばんは。
今日はいつもお世話になっている高校の先生にご協力をいただき、高校生にグループインタビューをさせてもらいました。
目的は、WCV普及の手がかりを探すため。
最近の高校生がどんな学校生活を送り、どんなものに関心を持ってるのか、改めて色々と話を聞かせてもらいました。

目的につながることは色々聞けたのですが、それはさておき、ふと思ったのは「けっこう絞ることに慎重なんだな」ということ。
4名から話を聞いたのですが、「自分のやりたいことはこれだけど、他の選択肢を残しておくためにこの大学・学部にした」という意見がいくつか出たのです。

確かに、最初からこれと決めて、それ以外のことは捨てる、というやり方をすると、選択肢はぐっと少なくなってしまいます。
一方で、いつも逃げ場を作って広くやっていると、深くやることがなかなかできないのでは、とも思います。

どっちが正解とも言えないなー、うーん、、、、と、このブログを書きながら悩んでいたのですが、この「絞る」という表現が良くないのかな、と気づきました。
絞るというと、減らすみたいな印象を受けてしまいますが、「集めどころをつくる」とか「つなぐ」みたいな言葉がいいんだろうな、と思います。
ちょうど昨日、ちはやふるのアニメを見ていて、そこでも主人公の女の子が、かるたで強くなるために中学校で陸上部に入った、陸上の飛び出しとかるたの飛び出しは似ているし、筋力はつくし、全部かるたにつながる、ということを言っているセリフが出てきたのですが、まさにそんなイメージです。
自分がやりたいこと(ちはやふるで言えば“かるた”)に、自分がやっていることを全部向けていく、つなげていく、ということです。

やりたいことが変わったときのために別の選択肢を残すことは悪いことではありませんが、それを切り分けるのではなく、やりたいことにもつなげていくとか、逆にやりたいことにつながるような、でも別の選択肢にもなるような、そんなことをやったらいいのかな、と思います。
そういう意味で、語学は分かりやすいかもしれません。
例えばスポーツ選手になりたいと思えば、なれたとしても外国語は必須ですし、なれなかったとしても外国語を身に付けていることは役に立つでしょう。

スポーツ選手という一つの箱に関係するものがぎゅっと詰まっていて、その箱に入っていないものは関係ないもの、というよりは、スポーツ選手という点の周りに外国語とか歴史(異文化理解には必須)とか家庭科(栄養管理の意味で)とか色んな点があって、近かったり遠かったりしながら全部つながっているような、そんなイメージです。
(絵が描けたらいいのですが、上手くいきません。。。)

そう考えると、選択肢の多さというのは、色々なことを浅く広くやっていることよりも、自分がやっていることを意味づけてつなげて考えられるかどうかに左右されるのかもしれません。
今回はあまり上手くまとめられませんでしたが、そういうことを考えました。


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