向き・不向きと、できる・できないの間にあるもの

今日は久しぶりに家でだらだら。
だらだらしている間に少しでも仕事を進めていれば、来週ラクになるのに、なかなか上手くいきません。。。
分かっていても変われないことってありますよね。

そう言えば先日、職場の同僚が、内向的な人間と外交的な人間の違いの本を読んだ、という話をしていたことを思い出しました。
私は読んでいないので、その本に関することではないのですが、その話を聞いたときに、私は内向きだから人と関わるのが苦手、とうにゃうにゃしている人ってたまにいるよなーということをふと思いました。

最近は、コミュ障という言葉が一般化してきて、特に大学生や高校生と接していると、「私コミュ障だから」という子が結構います。
その「コニュ障だから」の言葉には、「だから上手く話せなくても仕方ないんだ。いいよね?」というニュアンスが言外に含まれている気がして、何だかなぁ、と思ってしまうのです。

私自身、元々は内向的な人間なので、新しい人と知り合うとか、雑談で盛り上がる、みたいなことは得意ではありません。
しかし、外交的な人間になれなくても、外交的な言動を後天的に身に付けることはできるよなぁ、と思っています。
具体的には、人付き合いの上手い人の言動を観察して、こういうときはこんなことを言うんだ、とか、こうするんだ、みたいなことをそのままやってみる、みたいなことです。
ぎくしゃくしてしまったり、ちょっと相手とかみ合わなかったり、ということもありましたが、だんだんとコツがつかめてきます。

内向的・外交的というだけでなく、世の中には向き・不向きで表現されるパーソナリティが色々あります。
例えば人前に立つとか、文章を読むとか、人の話を聞くとか、文章を書くとか、絵を描くとか、そういったことです。
そして、そのほとんどが「私ってそういうの苦手なんだよね」とそのままにされがちです。
ただ、苦手だからできない、のままにしてはいけないことも結構ある気がするのです。

人付き合い以外で言えば、私はビジネス書を読むのが苦手です。
物語は好きなので、小説は読むのですが、ビジネス書はどうしても入っていけません。
なので、テレビのビジネス番組を観たり、セミナーに行ったり、人から話を聞いたり、とビジネス書を読む以外の方法で、カバーするようにしています。
もちろん、読まなければいけないものは頑張って読みます。
ただ、読んでいると眠くなってくるので、カフェや居酒屋などに一人で入ってそこで読んだりするのです。

そうしていくと、「向いていない」とか「苦手」を「向いている」「得意」には変えられなくても、「できる」には変えられる、と思います。
最近、昔からの友人に「大人になったね!」と言われることが増えてきたのですが(笑)、こうして苦手だけどできる方法を見つけて身に付けることを「社会性」と呼ぶのだろうか、と思ったのでした。


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