「できない」を本人だけの問題にしない

こんばんは。
3月に入ってしばらく経ちますが、やっと3月になったと実感する今日この頃です。
そんな今週末、『みんなの学校』という映画を見てきました。
教育関係の方は知っているかもしれませんが、大阪にある大空小学校という公立の学校を追ったドキュメンタリー映画。
この小学校では、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんな同じ教室で学びます。
普通の学校では受け入れてもらえない子、クラスメイトとうまくやっていけない子、不登校になってしまった子が次々と集まってくる、そんな小学校でした。
私が純粋にすごいな、と思ったのが、「この小学校はみんなの学校だから、みんなで作る」ということが繰り返しメッセージされ、子どもたちも含めて実践されていたということです。
授業、休み時間、給食、運動会、修学旅行・・・
様々な事情で困難を抱えた子も、クラスメイトや教職員、地域の大人たちなどが声をかけ、手を差し伸べ、フォローしながら一緒に「普通の」学校生活を送ります。
映画の中では、周りの人たちの接し方こそが、本人を大きく変えるのだ、という話をされていて、本当に様子が垣間見えました。
自分の小中学校の頃を思い返してみると、「できない」「分からない」「逃げる」といったことは、その本人の問題であって、自分には関係ないと思っていたように思います。
中学校は不登校の生徒も多く、全5クラスに各クラス2~3人くらい不登校の子がいましたが、特にそれを問題だと思ったこともありませんでしたし、熱血だった担任の先生がクラス全員に「待っているよ」という白々しい手紙を書かせるのを面倒に思ったこともありました。
(実際、転入してきたもの一度も教室に顔を出したことのないクラスメイトにも手紙を書けと言われ、困ったものでした)
手紙が必要かはともかく、少なくとも自分自身が、不登校の子に対して無関心にならず、来てもらえるような働きかけや居場所作りをしなければならなかったのだろうな、と今こうして教育に携わるようになっては思います。
ただし、それは先生からの「手紙を書くように」という指示ではなく、「どうしたらクラスみんなで楽しく学校生活を送れるのか?」ということを日常的に考えている、ということが前提になるのだろうな、とも思います。
さらにこの映画で何よりの印象的なのが、校長先生が素晴らしい方だということです。
現場で一人一人の子どもともしっかりと向き合う先生なのですが、ある、すぐに手を出してしまう子が校長先生に呼ばれたときのこと。その子が言った「もう手を出しません」という言葉について校長先生は後で「どうせまたやっちゃうんだけど、こう言ってくれたこの一瞬は本物なんだよね。だから信じてあげないと」といようなことを言っていたのです。
子どもが過ちを繰り返すとき、「さっきはもうやらないって言ったのに!」と怒ってしまいがちです。
しかし、「やらない」と言ったそのときは本当にやらないぞ、と思っているわけで、嘘をついているわけではないのです。
「やらない」と言ったのに、またやってしまった子どもは、子ども自身も「やらないと言ったのに、またやってしまった」と苦しんでいる可能性もあります。
一瞬の本物を信じて、根気強く付き合っていくしかないのです。
最近涙もろいせいか、私はとにかく泣きっぱなし。
子どもだけに留まらず、人とどう向き合うべきなのか、ということを改めて考えさせられる映画でした。


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