顔の見える関係性の効果
あっという間に11月!
10月はブログをサボりすぎたので、今月はもうちょっと頑張ります。
さて、この間朝の情報番組を見ていたら、驚くニュースがありました。
同じテーマの話を今度はダイヤモンドオンラインの記事でも見かけたので、リンクを貼っておきます。
整備が急がれる一方で騒音トラブル急増の皮肉
保育所問題を機にそろそろ“子育て”を真剣に考えよう
保育所の子どもの声が騒音として、近所とトラブルになっている、とのこと。
私はこれまで知らなかったので、とても驚き、げんなりしてしまいました。
とは言え、子どもの声が大きなことは分かりますし、この問題の言及は避けておきます。
今日書きたかったのは、この騒音問題の解決策として、ご近所との交流が挙げられている、ということです。
「知らない子どもが騒いでいる」という認識から、「知っているあの子が元気に遊んでいる」に変えていくわけですね。
「顔の見える関係性作り」というのは、私が現代社会で最も取り戻さなければならないと感じていることの一つです。
過去の経済成長の中で、この面倒な関係作りは次々と効率的なシステム、資本主義のおカネを対価とするやり取りに取って代わられてきました。
その結果が、子育てや介護の当事者から聞かれる「迷惑をかけたくない」という風潮なのだと思います。
迷惑をかける、というのは、対価を払わずして相手に何かをしてもらうことだと思うので、多くのものが直接のギブ&テイクで済ませられる状況に慣れてしまうと、不安に思うのでしょう。
私としては、「情けは人の為ならず」精神が好きなので、受けている側は気に病まない方が良いと思うのですが。
顔が見えない関係だと、例えば野菜を買うときにも少しでも安いところを求めて近くのお店を切り捨てたり、販売者側に値下げを求めたりします。
販売側、作り手側は、こちらの苦労も知らないで、と不満に思いながら、力関係によって値下げをすることもあるでしょう。
逆に顔の見える関係性で、売る人や作る人を個人的に知っていたらどうでしょうか。
苦労も知っていれば簡単に安くしろなんて言わないでしょうし、言うとすれば、たくさん買うからまけてよ、なんてことになるでしょう。
値下げをする側も、○○さんの頼みなら仕方ないなぁ、と笑顔でまけてくれるかもしれません。
これはこれで、裏表、本音と建前、色々と面倒なことがあるかもしれませんが、この「なぁなぁ」な余白もまた、社会生活の中にもっと欲しいな、と思うのです。
そんなことを考えたニュースでした。