子どもや若者に「既存の枠を超える自由な発想」を求めるとしんどくなる

教育や人材育成の分野でよく行われるビジネスコンテストやプロジェクト学習。何度か話題にしていますが、その中で「もっと学生らしい自由な発想を」とか「既存の枠にとらわれている」という指摘がまぁまぁの頻度で出てきます。

が、これって言い出すと結構しんどくなってくるんですよね。というのも、本当に全ての枠を無視した奇抜なものって、人に受け入れられないから。結局そう指摘している大人の中に何となく自分なりの「自由な発想としてイメージするもの」があって、そこに届いていないから「いや、違う。それじゃ面白くない」とか言ってるだけだったりします。それを超えちゃうと、それはそれで「実現可能性が」とか言い出すんです。まぁ突飛さだけを追求すると本筋からずれていくので、その指摘はその指摘で大事なのですが。

もちろん、世の中には常識を超えた自由な発想によるイノベーションというのは存在します。しかし、それを生み出すのは、やはりある種のプロフェッショナルだと思うのです。よく異業種から来た経営者が業界の常識を打ち破ってイノベーションを起こした、みたいな事例がありますが、それは別分野ではプロフェッショナルだった人が、積み重ねてきたものを応用しただけで、本当にどの分野についても何も知らない人が来てそれを成せるかと言えば、難しいのではないでしょうか。

じゃあ、アイディアを出させることが無駄なのかと言えば、そうではありません。大事なのは「目的」と「範囲」だと思います。

例えば、料理の新しいレシピを何でもいいから作りなさい、と言われると、すごく難しくなります。今までにないものを新しい発想で、と考えた結果、新しさが優先されてそれほど美味しくないものになってしまうかもしれません。

では、「小学生でも作れるクリスマスケーキ」と言われたらどうでしょうか。「小学生でも作れる」が目的で、「クリスマスケーキ」が範囲です。世の中に全くないレシピにはならないかもしれませんが、材料の種類を絞ったり、手順を簡単にしたりしたオリジナルレシピを作ることは、それほど難しいことではないでしょう。

私自身が、新しい発想として期待するとすれば、それは「視点」です。例えば、前述のクリスマスケーキでいくと、「材料の種類を絞る」や「手順を簡単にする」は大人でも思いつく視点です。それに加えて、「作っている過程も楽しい」という視点でアイディアが出されると、それは子どもならではの発想だねとなる、みたいなイメージです。

アイディア自体は知識や経験が豊富な方が、たくさん出ます。もし若者や子どもに期待するとすれば、それよりも、そのアイディアの前提となる視点だったり、そもそもの前提を疑う姿勢だったりを持ってもらうことなのかな、と思うのでした。