自分が応援されているのか、取り組みが応援されているのか、分けて考えた方が良い

インターネットの普及、クラウドファンディングの広がり等により、大きな組織でトップに立ったりしなくても、個々人が新しいことを始められる世の中になりました。
私の周りでも数々の知人友人が起業・独立したり、新しい事業を立ち上げたり、地方や海外に移住したり、本を出したり、メディアに出たり、何だかよりどりみどりです。

ハードルが下がって簡単に始められるようになったからか、それが上手くいくかどうかも千差万別、玉石混交。
そんなの上手くいかないんじゃない?とナナメに見ていたものが上手くいったり、順調に見えていたものが急に終わったり、正直なところ私には、上手くいくかどうかの予測をすることはできないな、と思います。

だから私は、相手が知人友人だった場合、本人がやろうとしていることを「やめた方がいいんじゃない?」と反対しないことにしました。
もちろん、相談を受ければ、考えを整理するのを手伝ったり、アイディアを出したりします。
愚痴を聞いて、余程と思えば「やめた方がいいんじゃない?」と言います。
でも、こういうことをやることにした!と本人が決めたことに対しては、応援することにしています。

一方で、取り組みについては、自分の価値観に照らして価値があると思ったもの、共感したものだけを応援します。
誘われたイベントに行くかどうか、クラウドファンディングで払うかどうか、紹介してほしいと言われたことを紹介するかどうか、といったことです。
(単純に都合がつかない、お金がない、紹介のタイミングを逃した、ということもあるので、思い当たる節のある方も深読みなさらず、、、)

相手が誰でも、上手くいかないと思えば忠告する人もいます。
取り組みの良し悪しに関わらず、その人がやっているからという理由で取り組み自体も応援する人もいます。
どの対応であっても、相手を思っての優しさであるのかな、と思います。

そのため、応援する側がどうすべき、とは私には言えません。
ただ、応援される側は、相手がどういうつもりで応援してくれているのか、考えた方が良いのでは、と思うことがあります。
結局、リスクを負っているのは本人です。
周りが応援・賛成しているからと言って、本当に価値がある(例えばビジネスであればマーケットニーズがある)かどうかは分かりません。

新しいことを始めるにあたって、「私だから応援してくれる」という形に頼るのは必要なことだとは思いますが、それと取り組みへの評価は分けて考えた方が良いのでは、と思うのでした。