迷惑をかけないように、という生き方

今日、朝の情報番組を見ていたら、迷子紐と呼ばれる幼児につける紐の賛否が特集されていました。
急に走って行ったりしたとき危なくないように紐でつないで親が持つ、というものなのですが、ペットに見える、という批判の声も多いようです。
個人的にもあまり好みではなく、でも小さい子がダッシュして行っちゃって危ないのも分かるので、何で現代になってこんな紐が生まれたんだろう、と考えていると、特集の後半で何となく見えてきました。
それは、迷子紐を使っているお母さんのコメントで「周りに迷惑をかけたくない」と。
最近、ベビーカーをたたまずに電車やバスに乗る人への批判も増えていたりして、何となく居心地の悪さを感じているらしいお母さんたち。
迷子紐なんてなかった昔を考えると、もしかしたら小さい子がパッと走り出しても周りの他の大人がつかまえてくれたんじゃないかな、と思ったのです。
一方で、自分はそうやってパッとつかまえてあげられるかな、と考えると、いつも気にはなりつつ、それで子どもに触れて親に何か言われたらどうしよう、不審者と勘違いされるかも?なんて思って見過ごしていたことに気付きました。
何とも生きにくい世の中になったものです。。。
そう言えば以前に同じ番組で、認知症の老人が徘徊していなくなり、1万人も行方不明になっている、というニュースも見ました。
番組の中では、認知症で徘徊している老人なんて一目で分かるんだから、誰か声をかけて警察などに連れて行けば良いのに、という話をしていましたが、実際に声をかける人なんてほとんどいないのでしょう。
私の祖母も認知症でいなくなり、大騒ぎになったことがありましたが、近所の方が見つけて連れて来てくれました。
田舎で、まだ地域のコミュニティが残っていたからできたことだったのだと思います。
迷惑をかけないように、という壁は、干渉されないように、という壁にもなる気がします。
地域のコミュニティがそのまま復活すべきかとか、復活できるかとか、そういったことは安易に言えませんが、干渉しない/干渉させない、というのは寂しいな、と思ってしまうのでした。


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